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BLOOM

……最初に1つ言っておく。
俺は断じてロリコンじゃない。

まるでガキのように掴み取った、薄紅色の裾。
それをなかなか離してやれない俺がこんなことを言ったとしても――何の説得力もないのだろうが。

【episode1:桜の精】

「水仙様、足元にお気を付け下さい」
「ああ、大丈夫だ。やはり8年前とは体力の衰えも歴然じゃな。おそらくもう、わしに白羽の矢が立つこともなかろうて」

ああ。まあ、そうだろうな。

目の前の形式ばったやり取りを視界に捉えながら、俺は思ったことを口にすることなくふあ、と小さな欠伸をかみ殺す。
この国の中心部にそびえたつ、大きな1本の時代樹。
その周りには我がパレン王国のお偉いさん方が一堂に集結していた。

凍てつく冬が終え地表が熱を取り戻す――……立春の式典の日。
この日を、どれだけ待ちわびていたか。

元来式典や催し物もろくに出席しなかったこの俺が、こんなにも胸を躍らせて格式高い壇上にいるのは珍しい。それでも、期待に膨らむ感情を止められなかった。
“今年の春の精は、桜組の者らしい”
その情報を耳にした……あの時から。

「水仙様がお帰りだ、一同、敬礼!!」

空気が揺れるほどの大音量でそう叫ぶおっさんを合図に、綺麗に整列した大勢の役人がザッ!と一斉にひざまずく。

「ありがとう。それじゃあ行くとするかの」そう告げて背を向けた老人だったが、何かを思い出したようにポン、と1つ手を打つとクルリと再びこちらに振り向く。
そしてその視線を……あろうことか俺の方へ、真っ直ぐと向けてきたのだ。

「……?」
「そなた。名をソイルと申したか。次に来る、桜組の者の護衛役に志願されたと」
「……は。第1騎士団副団長・ソイル=グルントに御座います」

突然投げ掛けられた質問に一瞬言い淀んだものの、俺はひざまずいたままに自ら名乗る。
……なんなんだ、一体。
水仙と呼ばれた目の前のご老人。
冬の間こちらに滞在していた間、騎士団に属する俺とは、まともな会話1つ交わしたことはなかったというのに。

俺の心中を知ってか知らずか。しばらくの間……ハチの巣になるんじゃねぇかってくらいの視線が、俺の頭上に突き刺さるのを感じて。
いい加減不自然なその間に耐え切れなくなった俺は、スッと顔を上げるとその口を開いた。

「あの……私に何か?」
「ほっほっほ……見目美しい青年ではないか。左頬にかかる橙色の髪束は……四星獣の使い手の証か」

髪束じゃない。メッシュだっつの。
心の中でそう訂正する俺に向けてその老人は、“冬の精霊”というには余りに温かい笑みを残して懐からあるものを取り出した。

「そなたならきっと、あの子を救ってくれるであろう」
「は…?」
「そろそろ……時間じゃの」

そう言って皺くちゃの老人の手の平に姿を見せたのは、丸い、茶色の物体。

こちらの世界と向こうの世界。
2つの世界を結ぶ唯一の鍵――……“種”だ。

選ばれた“四季の精霊”にしか扱えないそれを、老人は空に向けてポイッと投げる。
すると次の瞬間、その“種”から目が眩むほどの大量の光の渦が時代樹と老人を包み込んだ。
とっさに目を瞑った俺の鼓動は、みるみるうちに高鳴っていく。
ついに、だ。ついにあの人の血を受けた精霊に会える。
早く早くとせがむ衝動を抑えきれずに、無理矢理にこじ開けたその視界。
柔らかな春風。
美しい桜吹雪に囲まれ、そこにふらりと舞い降りたのは――……

「春の精、桜組がサクラ。此処に参上致しました」
「……え。」

年端もいかない――小さな少女だった。

***

ガキの頃のある出来事をきっかけに、俺は“桜組”に特別思い入れがあった。
だからこそ、今回の報せを聞いた時には、血が逆流するくらい興奮したっていうのに――……

「どーゆーことなんだよこれはぁ!?」
「うっさいよソイル。仮にも王室なんだから音量下げてよねー」

いつものことながら、淡々と話されるアースの口調に俺はギリギリと拳を握る。

先代の国王が肺を患って急死したのが1年前。
それ以来、遺言により後継者となったアースは20歳の若さでこの国を治めてきた。
若過ぎる国王の誕生に最初こそ異論も上がったものの、その類稀な政治交渉力と前国王から受け継いだ抜群のカリスマ性によって、早くも隣接する国々から信頼を置かれている。それは認める。

しかしながら、今回の任務については話が別だ。
人の話を聞け!つーか呑気にココアとか飲んでんじゃねぇ!!

「話が違うだろーが!!俺は桜組の次期頭領を護衛する任だと聞いてッ、」
「嘘は言ってないけど?あの子。正真正銘、桜組ナンバー1」
「……は?」

少し癖のある水色の髪をふわふわと揺らしながら、お手製のココアを幸せそうに口に運ぶ。
どこまでもマイペースなアースは、ぴたりと固まった俺に構うことなくその言葉を続けた。

「サクラ姫、13歳。確かに見た目はただの小さい女の子だけどね、潜在能力はおそらく春の精ナンバー1だって、今日帰ってった水仙じーちゃんも言ってたし」
「……冗談だろ」

「あの、ちっこいのが?」思わずそう呟いた俺は、先ほど垣間見た少女の姿を再び思い起こす。
13歳……にしては少し幼く感じた、面立ちと身長。
流れるような黒の長髪に、薄紅色の着物。ぱっちりと大きな瞳。
思い出せば思い出すほど、ただの可愛い女の子にしか見えない――……

『そなた、我の護衛であろう?』
『そんな間抜け面で……本当に任務が務まるのか』

……いやいやいや。可愛くはねぇな、うん。

予想だにしなかった少女の登場に硬直している俺に容赦なく浴びせてきやがったソイツの一言。
そのクソ生意気な発言を思い出し、俺はフルフルと首を横に振った。
まぁ、確かに見た目こそ非の打ちどころ無しなんだろうが……

「あの無愛想な面といい生意気な口調といい……どっちにしたって子供の御守りじゃねーか。そんなんオーシャンの馬鹿でもできるわ、アイツにやらせろ」
「それは困るね。向こうの世界にも、実質この国1番の腕を持つソイル副団長が護衛任務を担うって報告してあるし」
「そんなん電鈴打てば済む話だろが!」
「はは、嫌だよ。面倒臭い」

キラリと煌めく笑顔。
一国を治める人物の言葉とは思えない切り返しに、俺は頭を抱えた。
つーかアースの奴だって、最初俺が今回の護衛任務を受けると言ったとき「えー。どういう風の吹き回し?」とか嫌そうにぼやいてなかったか、コラ。

「ちょっとソイル!!なーに面倒ゴトを俺に押し付けようとしてんのー!?」
「……立ち聞きかよテメェは」
「いらっしゃい、オーシャン。ココア飲む?」

「マジで!?飲む飲む~!!」そう叫ぶようにして、デカいドアの先からその姿を現したのはオーシャン。俺やアースとガキの頃からつるんでいた幼馴染だ。
俺とは真逆の、いかにも人懐っこそうなその雰囲気。
こんなヘラヘラした奴が、国直属の第2騎士団団長とは、誰も思わないだろう。

甘ったるそうなアースお手製のココアを受け取ってふにゃんと笑みを浮かべるオーシャンは、いつまでたってもガキ臭さが抜けない。

腰元まで細く伸びる銀色の髪の毛は、昔と変わらず1つに結われていて。
俺と同様、四聖獣を扱うコイツの髪にも、人工的ではないメッシュが刻まれている。色はターコイズブルーだ。
……つーかその長い髪、結うくらいならいっそ切っちまえっつーの。

「兎にも角にもさ、部下の皆の言葉にも耳を貨さないでこの任務に就くって聞かなかったのはソイルでしょー?」
「それはッ、」
「勘違いしてたにしても見当違いだったにしても、自分で立候補したんだからねっ!ちゃんと責務は全うしないと!!」
「……」

反論の余地もない。まったくオーシャンの言う通りで。
でもイラッとしたから、とりあえず一発殴っといた。
「キャー!パワハラだ!!」なんてうるさく喚いている声なんざ聞こえない。聞こえて堪るか。

「それでさー、早速今日いらしたお姫サマ、年端もいかない美少女ってことで城下でも話題になってるみたいでさぁ~」
「あそ。相っ変わらずそういうことに関しては情報早いのな、お前は」
「だってすんごい盛り上がりだったんだよ?“ソイルが実はロリコンだった”って!」
「ちょっと待てコラァァァ!!!」

ああ、頭が痛む。
折角春が来たってぇのにこの仕打ち。全く当てが外れた。

早く、夏が来ればいい。

 

【episode2:憎しみ満ちて】

パレン王国では、遥か昔から季節が巡るごとに“四季の精霊”を召喚する儀式が執り行われる。

春・夏・秋・冬
各々の季節ごとに最も美しく咲き誇る―――…花々の精霊だ。

その精霊の力によってこの国のエアー・バランスは一定に保たれ、外敵があった時には結界が作られ、更には“季節”というものが存在し得る。
俺たちが生きていくには欠かせない“向こうの世界”との繋がり。
絶つ訳にはいかない、繋がりだ。

コンコン。

「サクラ姫、朝食の準備が整いました」
「……」
「……」

はいはい、返答なしですか。
完全に予想が的中した展開に、俺は城から離れに続く廊下の真ん中で重い溜め息をついた。

結局逃げられずに引き受けることとなった“サクラ姫の護衛役”。
あー…ったく、こんなことならちゃんと下調べしてから手を挙げるべきだったぜ馬鹿だ俺、畜生。

「……サクラ姫、もうお目覚めですか?」

慣れない丁寧語に不快感を含ませないように誠心誠意こめて再度ドアをノック。しかしながら先ほどと同様、反応が中から返ってくることはなく。
……まさかシカトしてんじゃねぇだろうな。有り得るな、あのガキ。

俺は元々気の長いほうじゃない。
昨日の第一印象が最悪だったからか、いつに増して怒りの沸点が低くなっていたらしい俺の頭は、感情のままにドアのノブに手を掛けると勢いよくばぁん!!とドアを開け放った。
後になって「あ、一応女の部屋だった」とか思ったが、とりあえずは目下の目的を果たすのみだ。早くしねぇと俺がアースにどやされるんだよ!

「――……あ?」

辺りを見回してみると、客室にしたって豪華すぎるその内装に一瞬呆気にとられる。

どデカいL字のクラシックソファーに大理石のテーブル、上品すぎる刺繍の施されたコンサートホールを連想させるカーテンに賑やかしいシャンデリア。おいおい、天蓋付きのベッドっていくらなんでも凝り過ぎじゃねぇの。
しかしながら、目的の人物の姿があったのは、その柔らかそうなソファーの上でもベッドの中でもなく。

このだだっ広い部屋のの床の片隅に、
毛布1枚に包まった状態で……小さな寝息を立てていた。

「馬鹿かコイツ……ベッドでもソファーでも寝心地良い場所なんざいくらでもあるだろーに」
「すー…すー…」
「……」

―――心細く、なったのか?

大きな使命があるとはいえ、こんな未知の世界に1人放り込まれたんだ。いくら能力が随一とはいっても、まだ子供であることに変わりはない。
13歳って言ったらまだまだ親に甘えて生きているときだろう。それがこんなだだっ広い部屋に、1人で。

何となく……親父を亡くしたときの自分と重なった俺は、毛布からはみ出て流れるように散らばってしまっている少女の黒髪にそっと、手を寄せた。
あやす様に梳いてやると絡むことなくさらりと指から離れるその髪は、自分が今まで記憶しているどの髪よりも綺麗で。
ああ、きっとこいつ、5年10年経ったらすっげー化けるんだろうなぁ……そんなことをぼんやり思っていると。

「……護衛というのは、年端もいかないおなごの部屋にも勝手に入り込むものなのか?」
「―――は?」

大きな瞳に突如映し出された、自分の姿。
そしてなんとも冷静に告げられたその指摘に、俺はピシリと体を固まらせた。

***

『案ずるな。そなたが無断で部屋に侵入し私の寝顔を窺っていたことを他言するつもりはない』
『違ッ、俺はただ朝食を知らせに!!』
『ちょうど良かった。代わりと言ってはなんだが1つ……頼みがあるのだ』
『は?……頼み?』

俺の返答に、少女は起き抜けの大きな瞳を軽く擦りながら頷いた。

―――――――
――――
――

王家が住まう城の裏手にある、小さな丘。
緑が生い茂る小道を真っ直ぐ進んで、しばらくすると見えてくる。

薄紅色の花弁が……もうじき満開に咲き誇る、その木が。

「見えますか?あの丘の上にある、あれがこの国で1番大きな桜の木です」
「……ああ、」
「……」

なんつーか……反応薄ー…。
『この国で1番大きな桜の木の場所を教えてほしい』
それが、護衛任務初日に護衛対象直々に頼まれた仕事だった。

初めは御供するという俺の申し出を頑なに拒もうとしていた少女だったが、まさか護衛対象を1人外出させる訳にもいくまい。
これが仕事なんだとなるべく感情的にならないように説得すること30分。ようやくあちらの方が折れた訳だ。
……これだからガキは頑固で困る。

「そなたは、」
「え?」
「すまぬが……此処で待っていてくれ」

……はい?
首を傾げるほどの間も与えないまま、少女は俺のことを真っ直ぐに見上げるとそう告げた。

あの木までの距離は、もう20メートルもない。それなのに……此処で番をしてろ?
疑問と不満がともに浮かび上がった俺だったが、言葉として出ることはなかった。

少女の視線が―――目の前の桜の木から、離れない。
なんとなく居心地悪いような、触れてはいけないような空気を察した俺は、「俺の視界から、居なくならないで下されば」とだけ返答し、小さく頷いた少女の背中を見送った。

……何、しようとしてんだ?
まぁ、あのチビも一応精霊だもんな。桜の木から力を抽出するとかそーゆー慣わしみたいなもんか?幹に手を当てた途端、光がぶわーっみたいな。

生まれて19年間、剣だけが取り柄の純人間として生きてきた俺には、精霊サンたちの未知なる世界の常識なんて見当すらつかなくて。
ふあ、と欠伸をかみ殺すと、あの薄紅色の着物だけは見失わないように、視線を丘の頂上へと向けた。

「……あれが、桜組の次期頭領ねぇ…」

まだ記憶に残る、少女の寝顔のあどけなさ。
俺の肩にだって届かないほどの……小柄な身体。
それを抜きにしても俄かには信じがたいその情報。しかし、国王であるアースが言うのだから間違いないのだろう。

こちらに召喚される精霊は、歴代を辿ってみてもその殆どが男の精霊だった。それも、その時代の実力保持者か次期頭領。
別に男限定という訳ではないが、向こうの世界でもやはり、男の方が平均で言ってもその力が勝るということなのだろう。
単に子孫を残していく存在という意味で、女を長期間危険な任務に当たらせることを嫌ったのかもしれないが。

なんにしても異例中の異例の存在ということに変わりはない、……となると。
あのガキ……危ねぇんじゃ……

そんなことをとめどなく考えている俺のもとに、
まだ咲き始めの桜の花弁が……ふわり、と届いた。

「……姫?」

聞こえるか聞こえないか。そんな微妙な音量で思わず名を呼んだ俺に、少女は一瞬小さく肩を揺らしたのが分かった。

桜の木の幹に両手を当てて身体を預けている少女。返事もなく、その体勢のまま動こうとしない。
その小さな背中に心許無さを感じた俺は、無意識のうちにその歩みを進めていた。

「サクラ、姫?どうかなさいましたか――……ッ!?」

―――バチバチィッ!!

踏み込む直前、ようやく気が付いた微かな違和感。
歩みを止めようとしたが間に合わず、靴の端っこに鋭い抵抗の光が走る。パチパチ…と焦げ臭いにおいが鼻につきながらも、すっと目を細めて目の前の光景を見遣る。

こりゃあ、結界――……?
しばらく思考を巡らせていた俺だったが、思い至った結論にこめかみをヒクリと動かすと、ゆっくりと……その視線を目の前の少女へと移した。

「……お前が張ってんのか。このクソガキ」
「控えて居れと申したはずだ。心配せずとも、私はどこにも逃げたりはしない」

凛と研ぎ澄まされたその空気に、俺は相手が子供だということも忘れてギッときつく睨み上げる。

桜の大木を中心に半径10メートルにかけて、球形に囲み込む強力な結界。
いくら大きさ的に小規模なものだとはいえ、結界を結ぶときにはそれなりの道具と呪文が要る。
コイツ……その過程を全部吹っ飛ばして念だけでこんなモン作りやがったのか。

「……そなたがこの国随一の手練れというのは、嘘ではないらしいな」
「ああ?」
「戦に慣れた兵のものであっても、通常なら結界に気付く間もなく抵抗波で即刻気を失っているところだ」
「……」

しれっとそう告げる10メートル先の小動物に、怒りで軽く眩暈が起きる。
そんな危ねぇモン、何の前置きもなく張り巡らせてんじゃねぇ!!……と、叫びたくなったが、半分褒め言葉でもあるそれにグッと堪えた。俺は年上だしな、よし、落ち着け。

「私は、人間が嫌いだ」

桜の花びらが、
丘を掛ける春1番の風に、舞い散る。

「……は、」
「だが……心配するな。こちらに召喚された以上、自分の任務は全うする」

そう静かに言ってのけた少女の瞳。
それがまるで、感情を一切宿さないビー玉のように冷たくて……孤独で。

俺は一瞬、その場に立ち竦んだ。

 

【episode3:向けられた陰】

『ソイル、お前に1つ頼まれてほしいんだ』

凛とした視線をこちらに向けると、ニッと笑顔を浮かべる。
絶望的な戦場の中でその笑みはまるで太陽のようで。
すべての、希望のようで。

『この“種”を……ヒカリの木の下で、目一杯空高くに放り上げてきてくれ』
『…ッ、待て、キルシュ…!!』
『このままじゃ、近隣の国は間違いなく全滅だ。このままこの国だけ生き永らえて、その先に一体何がある』

『俺たち精霊がこの世界に来る目的は、自分らの身の保身のためなんかじゃない』

―――――――
――――
――

「ソーイール!随分呆けてるねぇ~、やっぱし護衛任務でお疲れ?」
「……ああ、お前が視界一杯に出てきたことで更にお疲れだ」
「酷ッ!八つ当たりだ八つ当たり!!」

毎度毎度ギャーギャーと元気が有り余っている様子で話し掛けてくるオーシャンを軽く殴ってやると、俺は再び今現在執り行われている式典の舞台に視線を馳せる。
あの姫がこちらの世界に来て早1週間。
今日は軍とは直接関係のない隣国との交友の式典だ。

召喚されたばかりのお姫サマの紹介の機でもあるらしいが……相変わらず豚みてーに肥えてんなぁ、隣国のおっさんは。
当然のごとく少女の護衛役である俺も参加する訳だが、式典の舞台に一騎士が上る訳にもいかない。
そんな訳で舞台下の壁際に適当に寄りかかりながら、俺はこの退屈な時間が過ぎ去ることを待っていた。

「あーあー。舞台の上なのにつまんなそーな顔してんねぇサクラちゃん。ニコとも笑うつもりはないらしいし」
「俺はもう慣れたけどな」
「へぇ。仲良くやってんだ?」
「……仲が良いか悪いかで言えば、悪い方じゃねぇのか」

なんつったって、初めてまともに話す機会だったあの桜の木の下で、突如『人間は嫌いだ』宣言をかまされたんだ。
こんな短期間でフレンドリーになれる方が可笑しいだろ。

ま……これまで散々軍部からの厳重注意や下剋上相手のおっさんたちの邪険を経験してきた俺にとっちゃ、それ自体は大した出来事でもない。
俺自身、自分が人に好かれやすい性分だなんて思っちゃいねぇしな。
ただ気になるのは。

黒の気が渦巻くほどに激しい憎しみを孕んだ、
……あの瞳。

「……前に、人間に会う機会でもあったのかねぇ……?」
「え、なに、サクラちゃん?」

無意識に口に出ていたらしい、ごくごく小さな疑問。
別に隠す理由もないためそのまま頷いてみせると、オーシャンは大げさに考えるポーズをしながら、それでもしばらく思考を巡らせているようだった。

「いやぁ無いでしょ。だって人間に会う機会なんて、“四季の精霊”としてこっちの世界に召喚されるしかないじゃん。サクラちゃん、今回の召喚が初めてでしょ?」
「だよな」

まぁ、なんでもいいけど。
あの後も結局お互い態度も全く変わらないし、少女は自身の公務も無愛想ながら粛々とこなしている。変に構い過ぎる必要はない、か。
そこまで考え至ってまだ終わりそうにない交友会という名の退屈な時間に大きな溜息を1つ吐いた俺だった―――が。

「―――あ?」
「ソイル?……うわ。」

―――殺気。
頭よりか身体で感じたその黒いものに、俺は地面を強く踏み切った。

交友の式典が執り行われている会場の、右手3階の踊り場。
視界に留まったお相手は鋼の弓と仮面をまとった……ああ、隣国の国王とすこぶる仲が悪いって噂の島国の密偵か?
まぁあのメタボ親父はどうでもいいが―――

「隣に居るウチの“お姫サマ”に……万が一でも傷が付いたらどーしてくれんだ、オラ」
「!?……なっ!」

――……ドスッ!!

式典の真っ最中に流血事件を起こすわけにもいくまい。
3階踊り場から弓矢を構えていた男の元に瞬時に行き着くと、俺は背中に負っていた剣の柄の部分を素早く打ち付け気絶させた。
地上からここまでは約10メートル。
蒸気を一瞬凝固させて氷の階段を作る……“氷気の術”を使えば、こんな高さ無いも同然だ。阿呆だなコイツ。

「にしたってこんな刺客を入れちまうなんて警備薄過ぎんだろ……ん?」

剣を背に直した俺は、足元にだらしなく倒れこんだ刺客の額に何かが張り付いているのが見て取れた。
おもむろにしゃがみ込みベリッとそれをはぎ取ってみると、それは人型に切り抜いた白の紙。
そこに書かれている藍色の文字……これは。

「呪詛の、文様か……?」

呪詛。それは黒の呪い。

俺もそうだが、この世界で戦やに駆り出される者の中には、剣などの物理的な戦法に加え、念を具現化して技を繰り出す“法術”を扱うことに長けている者も存在する。
さっきの“氷気の術”もその1つだが、多くが攻撃・守護・移動・意思疎通の4種に分類され、他の用途に用いられる法術はごくごく稀。つーか人間ではいまだに見たことねぇ。
ましてや、呪詛を操る輩なんざ―――

手元でその紙に十字の念を加えその効力を失わさせると、俺はその媒体となった紙を真っ二つにビリビリと破り懐に仕舞い込んだ。

「……生きた人間を式神にしやがったか。アンタも運が悪かったな」

いまだ下に横たわる刺客を見下ろしながら、俺は小さく呟いた。
この服装は間違いなく隣国の反抗勢力からの偵察だろう。
しかしながら今の今まで別の“誰か”に操られていたとなると、狙っていた標的がメタボ親父だった可能性は低い。
メタボ親父の他に舞台に上がっていたのは、国王のアースと、それから―――

「……アースにけしかけるにゃ、人目が有り過ぎる、か……」

そう呟いた俺は高さのあるその踊り場から、今もなお何事もなかったように懇親が進んでいる下の舞台の方に視線を向けた。
そして視界にぴたりと止めたのは、無表情のまま中央の奥座に座り時間が流れるのを待っている……小さな少女。
何処のどいつかは分らねぇ。だが。

「……油断する暇はねぇってことか?」

誰かが―――アイツを狙ってる。

 

【episode4:誓いのキス】

「お待たせしました、サクラ姫。部屋までお送り致します」

交友の式典を終えたアースの元に赴き、先ほどの刺客のことについて報告する。
一応国王であるアースを狙ったものの可能性もあるから注意しておけ、と。
……まぁ、アースも元は軍隊出身の身、敵陣に簡単に命を差し出すような輩じゃないが。

その報告の間客室で待たせていたサクラ姫に声を掛けると、少女よりも先にオーシャンが「えーッ、もう!?」と声を上げた。

「折角サクラちゃんと友達になってたのにー、もうちょっとお喋りさせてよ~!」
「うぜ。そう思ってんのはお前だけだっつの。行きましょうサクラ姫」
「……ああ」
「おやすみ~サクラちゃん!!」

ニカッと笑ってブンブン大きく手を振るオーシャンに少女は一瞬視線を向け、そのまま客間を後にした。
相変わらずの無愛想だが、それでもああいう能天気と一緒にいりゃー少しは気も休まるのかもしんねぇな。
そんなことを思いつつ、俺は斜め前を小さな歩幅で進む少女に視線を向ける。

こんなちっこい奴が……大の大人を凌駕する程の、強大な力を持っている。
その力を己の欲望のために利用しようと狙う馬鹿な輩が出てきても何ら不思議はない、か……

「今日は長時間の公務でお疲れでしょう。私はこの晩から扉の向こうに控えて居りますので、何かありましたら」
「入れ」
「……は、」
「そなたに、話がある」

ああ出た。ゴーイングマイウェイ。
離れに位置する少女の部屋へとたどり着きご丁寧に扉を開いてやった俺だったが、突如浴びせられたものは有無を言わせないその雰囲気と……命令口調。
最近はどうにか堪えていたフラストレーションが不意にその顔を見せる。
いや、いいんだけどよ別に。つーか話って。どういう風の吹き回しだ?
必要最低限しか会話もしない、コイツが―――

「ありがとう」

暖色系の明かりが、わずかに揺れる。
2人でも居心地の悪いくらいに広いこの部屋ではっきりと告げられた言葉に、俺は目を見開いた。

「――――え、」
「先の式典の最中……私を狙う刺客を始末してくれたのだろう」
「は、はあ」
「手を煩わせてすまなかったな。お陰で助かった」

「だから、ありがとう」繰り返しそう告げる少女に、俺はようやく状況を理解したらしい頭を動かして、ひとまず首を横に振った。
―――まさか、こんな直球で礼を言われるとは。
仕事を請け負えば、そりゃあ城下の人々からお礼や称賛の言葉の1つや2つ、もらうのは別に珍しいことではない。
しかしながら、この少女からそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった訳で。

「厄災しか呼ばないな……私は」
「!」
「国王2人にも……私のせいで危険な状況に陥らせてしまった」

それは13歳の少女には似つかわしくない、弱々しい、自嘲の笑み。
初めて垣間見た少女の感情が滲む表情に……何故だか酷く、胸が詰まる。

こんな風に向き合うと尚更感じざるを得ない、小柄な少女の身体。
抱えるモンは、こんなにも大きく……重たいというのに。

「……引き留めてしまったな。そなたもちゃんと自室で休め。扉の前に居られてはこちらも気が散って、」
「サクラ姫」

重たい空気を察したのだろう。少々早口で退室を命じる少女の言葉を、俺はその名をもって遮った。
背を向けようとしていたらしい少女は再びこちらを振り返り、そしてその瞳を丸くする。それはそうだろう。

今の今までどこか任務に酷く義務的だったこの俺が、
目の前で少女に向かって深く―――…ひざまずいているのだから。

こんな至近距離から、少女を見上げるのはこれが初めてだ。

「――……なに、を」
「こちらの世界にいる間は……このソイル=グルントが、必ずや貴女様をお守りします」
「!」
「―――この命に代えても」

同情なのか何なのか、分からないこの感情。それでも。
この少女の力になりたい。
その想いだけ……心の中に激しく宿ったから。

そして、ひざまずいたまま俺は少女の左手にスッと手を伸ばすと、
その白い手の甲に……触れるだけの口付けを落とす。

“主従の契り”。
本心からその任を受けらんと思う時にしか行うことはない、儀礼のひとつ―――

「……ッは、離せ!!」
「ぅお!?」

突然ブンッ!!と振りかざされた小さな左手に気が付くと、俺はふわりと体を翻してその衝撃をかわした。無駄にクルリと空中で一回転した俺は、少し離れた位置に綺麗に着地する。
先ほどの忠誠心はどこへ行ったのか、不満が隠し切れていないのを承知で俺はグッと顔を上げる。
何なんだよ急に。しおらしくなったかと思えば急に機嫌悪くなりやがって……
そんなことを思いながらも、俺の視界にに飛び込んできたものは―――

「……え、」
「っ、私は、まだ子供だ」
「……」
「主従の通例行為とはいえ……こういうやり取りはまだ、慣れてはおらん……っ」

……うわー。
思わず凝視してしまいそうになる、目の前の少女の表情。
プイッと横に視線をずらしながらそう紡ぐ少女の頬は……ピンク色に染まっていて。

おいおい待て待て、無愛想で表情ひとつ変えることのないさっきまでのお前はどこに行った。
子供のくせに変に意識してるみたいな反応するな、見るからに照れてんなよオイ。俺の方まで気まずくなってくんだろーが!!

「あ……、えーと。とりあえず安心して、今夜はもうお休み下さい」
「……」
「出来れば今夜は、ちゃんとベッドでお休みになって……」
「……その変な敬語やめろ。イラッとする」

……んん?

「どうせお前、心の中では私のことをチビとかガキとか呼んでるんだろ。この間も1度だけ、どさくさに紛れてそう呼ばれたしな」

あまりに的確なその指摘に、俺は内心ギクリとしながら少女の方に向き直る。
つーかあれ?コイツなんかますます言葉使い荒くなってね?
何気に“そなた”から“お前”に格下げだし。調子乗ってんのかオイ。

「だから、もう下手な敬語は要らん。先ほどの賑やかしい友人に対してと同じ口調で話せ、―――ソイル」
「……!」

そう言ってクルリと背を向けたかと思うと、そのままもぞもぞとベッドに潜り込む少女。
その年相応の姿をしばらく見つめていた俺は、次第に緩んでくる頬を止めることが出来なかった。

……ふーん。
そういうことね。成る程成る程。

「布団、ちゃんと被って眠れよ。……サクラ」

扉に手を掛けながら俺がそう告げると、
一瞬ピクリと揺れた布団の中から、「……おやすみなさい」と小さな囁きが届いた。

 

【episode5:波荒ぶる】

「そんじゃ、俺は着替えてくっけどお前はここに座って待ってろ。勝手にどっかに行ってんじゃねぇぞ」
「……朝食の時から何度目だ。分かったからさっさと行け。下の者たちも待っているのだろう」
「念の為だ念の為。あ。この格技場、一旦使い出すと閉め切っちまってかなり気温上がるからな、何か飲みたいもんとかあるか?」
「水。冷たい水」
「んじゃミネラルウォーターな。すぐ戻る」
「分かった」

「「「「………」」」」

王国直属の騎士団。それは実力及び役割ごとに全7団で形成されており、それぞれに団長・副団長が存在する。
各団ごとの鍛錬はご多分に漏れず毎日執り行われているが、週1回、主に戦闘の最前線を任される第1騎士団から第3騎士団までの合同訓練が組まれている。
要するに、今日がその日な訳だが―――…

「……なんだ、その気持ち悪い視線は」
「むっふふ。あ、バレちゃった?」

うわ、今身体の細胞レベルでお前のキモさを感知出来たわさすがに自重しろよお前。
息つぐ間もなくそう告げた俺に、いつもならやかましい非難の叫びが届くはずなのだが、今日はそれがない。
一瞬間をあけて隣の馬鹿(オーシャンという名前)に視線を向けてやると、すぐさまその行動を後悔することになった。

「……何なんだよ、いつに増して締りのないその馬鹿面は」
「キャハ☆だーってソイルってばサクラちゃんと随分親しくなっている様子なんだもの~ね、何かあった何かあった?」

星マーク。ウザい。

「おーい第2騎士団、お前らの団長は本日をもって殉職するからな。副長は昇進、新副長は明日までに決めておけ」
「ええええ!!なんで俺死ぬの!!」
「ああ?今日の訓練中に俺の手元が狂って、お前が運悪く破壊光線を浴びることになったから」
「何その決まり切った予定!?ちょッ、皆も割り箸クジで次の副長を選ぼうとしないでッ!!」

ぎゃあぎゃあ喚く現第2番団団長をスルーすると、俺は早々と訓練用のスーツと皮のジャケットを羽織り、剣を収めたベルトを左肩に背負う。
それと……ああ、ミネラルウォーターだ、ミネラルウォーター。そう思い出してコインを1つ握り更衣室を後にしようとした……が。

「大丈夫ッスよ、ソイル副団長!!サクラちゃんと副団長って6歳しか離れてないじゃないッスか~ロリコンなんかじゃありませんて!全然健全で―――…」
―――…ドゴオォォン!!

……なんとも空気の読まない第1騎士団の1人・ココナッツ。
心優しい部下からの温かいフォローを受けた俺の手元は、どうやら訓練が始まる前に狂っちまったらしい。
あれだな、予定は未定っていうもんな。

うんうん。と1人で頷きつつ、背後で部下たちが「救急室に運べーっ!!」「担架持って来い担架ッ!!」と慌てふためいていることは、疲労からの幻聴ということにしておいた。

***

―――…ズバッ!!
「オラ、んな引き腰で相手の間合いに入れると思ってんのか!?」

だだっ広い格技場の真ん中で、俺はいつものように声を荒げる。
第1騎士団副団長。
その肩書で1年ほどやってきた俺は、今では実質団長の権限を与えられている。
……というのも、昇進の式典を目前にして俺が今回の護衛任務に名乗りを上げたため、急遽それが延期となったのだ。

騎士団トップの第1騎士団団長が指揮の精霊の護衛に回ってるんじゃ、満足に指導に当たることが困難なため―――…まぁ、簡潔に言えば俺の我がままで騎士団の編成が滞った訳で。

まぁ俺は全く問題ねぇけどな。
権限とか地位とか関係なく動きたい時に動く。それが1番、性に合ってる。

「サクラちゃん、5日前の交友の式典よかよっぽど楽しそうだね~」
「は?」
「だってほら、何か感情が見えきてるでしょ?さっきもソイルが技を決めたとき、驚いてた風だった!」
「……ふーん」

よく見てんなぁコイツ。
大層嬉しそうに笑って報告してきたオーシャンに、俺は言葉少なにその視線をサクラの方へと向ける。

格技場の扉から離れた壁際にアースが用意したらしい、花柄の刺繍の入った何とも場違いなソファー。
その端っこにちょこんと座るサクラの視線はなるほど訓練に汗を流す騎士たちに少なからず興味を持っているように見える。
まぁ、先週の式典と比べりゃあ、何でも少しは楽しめるんだろうな。子供がタヌキ親父たちの話を聞いたって楽しいはずもない―――…つっても、アースの奴は20歳だからまだ近いか。7歳差。

俺とは、6歳差か。
考えてみりゃサクラは13歳で俺は19歳だもんな。
多分見た目アイツが平均よりちっこいから、やたら差が有るような気がしてたけど……って。何考えてんだ俺は。

何やら頭の中に浮かび上がった雑念を振り払うようにふう、と息を吐くと、俺は最後の1対1の個人訓練に移すための号令を掛けようとした、
―――…その時。

「へーえ。あれが噂の“春の精霊”ちゃん?結構可愛いじゃん」

おもむろに耳に入り込んだその話題に……俺は一瞬肩を揺らす。
おそらくこちらには聞こえてないと思っているんだろう、第3騎士団の順番待ちの中でニヤニヤ笑いながらもその視線をサクラの方へと向けている奴ら。
汚い欲望が駄々漏れのその様子に、俺は激しい嫌悪感を覚える。

―――…何なんだその視線。
アイツまだ13歳だろ、んな下心向けるにゃ早過ぎ―――…

「ははッ、何、お前って少女趣味?」
「馬ッ鹿ちげぇよ!でもガキの今であんな別嬪さんだろぉ?」
「ああ。今からツバ付けときゃあ……きっと将来自慢話の1つにゃあなるぜ?」

―――…ドガァァァンッ!!

突如、格技場内に地響き交じりの轟音が響き渡る。
今の今まで訓練に勤しんでいた奴らも、全員が固まって俺の方に視線を向ける……まぁ、当然か。

一応力のセーブはしたが、
破壊魔法で……屋根の一部を粉々に吹っ飛ばしたからな。

傍らで小さく「あーあ……後でアースに怒られんね」とオーシャンが呟いたが、さして咎める様子はない。
おそらくコイツも、馬鹿な部下が漏らした話題にそれなりに頭に来てんだろう。

顔を青くして俺からの指示をビクビクと待っている目の前の騎士たちに向かって、俺はふう、と息をつくと静かにその口を開いた。

「……折角の合同訓練だ。ラストは団長・副団長の2人vs他団の騎士との対抗戦。第1はオーシャンとカルセナ、第2はヒトバルスとムーバ、第3は俺が相手だ」
「ちょ…っ、それじゃソイル副団長は1人になっちゃうじゃないですかっ?」

律儀にも俺の心配をしてくるのは第2騎士団副団長のカルセナ。
オーシャンと違ってお前は本当良い奴だな。でもな、俺だって足し算引き算くらいは分かっちゃいる。

「そうだな。……訓練中に下らねぇ話で盛り上がるくらい余裕がある奴らだ、俺1人じゃ不足かもしれねぇな」
「―――…!!」

お、ようやく気付いたか。
そーだよ、お前らだお前ら。俺がほぼ名指しで喧嘩売ってやってんのは。

先ほどまでサクラを話題の種に偉く楽しそうにしていた奴ら。
全く外そうとしない俺からの視線とその話し振りにあちらさんも不快感を露わにする。ああ、少なからず反抗する気はあるらしい。
そりゃそうだろうな。見たところ、奴らは第3騎士団のほぼ新人だ。

国王直属の騎士団に入団して万々歳かと思えば、いきなり上司が年下の19歳。密かに不満や妬みを抱いている輩がいるのは当然で。
そんな矢先、“訓練”という名を借りて俺のことを打ち負かす絶好のチャンスをわざわざやったんだ。
……これを逃す手はねぇよな?

「……はは。ソイル副団長は、どうやら俺たち第3騎士団を相当甘く見られているようで」
「いんや?第3全体じゃあねぇよ。女みてぇに集団で固まってやがる、そこのお前ら限定だ」
「ッ!!」

一気に不穏な空気に包まれる格技場。
大半の騎士たちは目の前のこの状況に恐れ慌てふためいている。
しかしながらその反面、俺の気の短さを今までも幾度となく体験してきた団長格の4人、及び第1騎士団のメンバーは、諦めたように溜息をついて事の成り行きを見守っていた……そう。

「とっとと掛かって来い。ああ……なんならハンデでもやろうか?その方が少しは楽しめるかもしれねぇな」
「……舐めやがって…ッ!!」

騎士団の新人公募が……これ以上困難にならないことを祈りながら。

 

【episode6:夢か幻】

「いやぁ~それにしても久々だったよね、ソイルの職権乱用!」

日の光が温かい白の南側に位置する小さな庭園。
いつも通り草原に腰を下ろして昼休みの時間をやり過ごしていた俺たちだったが、それはもう楽しそうにニヤつきながら発せられたオーシャンの言葉に、俺は「ああ?」と不機嫌さを全面に表わして反応してみせる。

「アイツらもお気の毒様っていうかぁ……ソイル副団長は地獄耳だってこと、新人研修のパンフに記載しておいた方がいいかもねぇ?」
「勝手にしろ。つーかお前だって止める素振り無かっただろーが」
「ん。そりゃね、俺も結構ムカついちゃったから」

そう告げながら緑一面の草原にごろりと身体を沈めるオーシャン。
日の光が反射する長く結われた銀髪が、キラキラ眩しい。

「それにしても、最近のソイルとサクラちゃんってば本っ当に仲が良くなったよね~。最初の頃なんかは俺もアースもどうしようかと思ってたのにさぁ」
「……お前に心配されるほどこっちも落ちちゃいねえっつーの」
「やっぱりアレかな、誓いのキッスが効いたのかなぁ?」
「ブッフフ!!」

さわさわ、と周りの雑草たちが心地良い音をたてる。そんな穏やかな中で発せられた俺のむせ返る声に、オーシャンは腹を抱えて笑い転げた。
あっぶねぇ。珈琲ホットにしなくて良かった……って、問題はソコじゃない。

「ッ、テメ、どうしてそれを知って……っつーか妙な言い方すんじゃねぇ!!」
「あっはは!!慌てなさってまぁ~。天下の唯我独尊男・ソイル様がねぇ?」
「くたばれ。全力でくたばれ。アレはアレだ、単なる主従の契りで、」
「何それー。もうすぐ成人の女の子を捕まえてその言い草ぁ?言い訳にもなんないからね、そんなのは!」
「……は?」

何言ってんだはこっちのセリフだ、土の中に埋めてやろーかクソ騎士。
サクラが、もうすぐ成人、だって?

アイツはまだ13だろ。
そう言い返そうとした俺の傍を、ふわり、と桜の花びらが舞うのに気が付き俺は動きを止める。
その後、暖かく……柔らかい春風の感じた俺は、不意にその風が送られる背後にその視線を移した。

「ほーら。のんびりしてるとあんな綺麗なコ、すーぐ誰かにとられちゃうよ?」そう耳打ちするオーシャンの言葉を意識半分で聞き流しながら、俺は、自分が見留めたその人物に目を見開いた。

「……ああ、もう、話は済んだのか?」
「……サ、クラ?」
「?……なんだ」

綺麗、なんてもんじゃない。
その姿は100人中100人が振り返ってしまうほどの魅力を纏っていて。

もともと長かった黒髪は、更に美しく下ろされて腰を超す長さまで。
透き通るような白い肌に大きな瞳はそのまま。
ただ、衣服は紅色の着物は纏っておらず、白のシルクのワンピースを自然に身に着けていて―――…なにより。

「なんだ、って。……お前、」
「初めて会った頃はもっと私の居所に厳しかったように思うが……あれから5年か。手が掛からなくなってお前も嬉しいだろう」
「……5年?」

頭が、上手く回らない。
いや、確かに目の前にいるサクラは、18歳に相応しい身長まで伸び、身体つきも変わっている。
え、え?……もう、5年も経ったのか?

「私たちもそろそろ……」
「え、」
「距離を、取ってもいいのかもしれんな……」

混乱し続けていた俺に向かって静かにそう告げたサクラは―――…18歳の、サクラは。
キラキラと反射する漆黒の髪をなびかせながら、
どこか悲しそうに、俯いて―――…

「―――…っ、待て、サクラ!!」

―――――――
――――
――

「………ッ、?」

肩が、冷える。

何で肩だけ……その小さな疑問から不意に瞼を開いた俺は、自分に掛けられた布団が肩の下にずり落ちているのを、まだ定まらない意識の中確認する。
そしてようやく自分が今の今まで惰眠を貪っていたことを理解すると、俺ははぁ~…と重い溜息をついて再び瞼を伏せた。

「……夢、かよ…」

そりゃそうだ。
何があって5年も先にタイムスリップ。阿呆か。真面目に焦った。
様々な言葉が頭の中を飛び交う中で、瞼の裏にふと思い浮かべたのは―――…

成長した、18歳のサクラの姿。

「………ありえねぇー…」

希望的観測もいいところだ。
自分自身の単純すぎる妄想。羞恥の念からか自分の頬が熱を帯びており、それがなかなか引いてくれない。
妙に動揺してしいる。馬鹿か俺、落ち着け。夢だ夢。

自身にそう言い聞かせようやく現実に意識が戻ってきた俺は、ひとまず肩のみがはみ出てしまった毛布を片手でグイッと引き寄せた。
今日は……いつに増して冷えてんな。
やっぱ春になったばかりの早朝、しかも離れの廊下はかなり冷え込んで―――…ん?

ふわり。頬に感じたほのかな春風に、俺はまだ重い瞼をゆるりと開いた。
先ほどまで見ていた夢でも感じた、覚えのある香り……ああ、これは。
桜の、香りか?

「……ッ!?」

今もなお、柔らかく肌に触れる冷えた空気の感触と徐々に開けてきた視界に……俺は目を丸くした。
バチッ!!と音が鳴るじゃねぇかっていうくらいの勢いで目を覚ました俺。それも無理は無い。だって……え。

此処、どこだ。

視界一杯に映るのは、いかにも少女趣味のレースだか花柄だかで装飾された天蓋。ここ……ベッドか?
昨夜の記憶の節々をつなぎ合わせつつ、俺は急いで辺りを見回そうと状態を起こしにかかる。

昨日の夜も確かにいつも通り、
護衛のために少女の部屋の前に背を預け、目を伏せていたはず―――…

「―――…!」

振り返ると同時に、先ほどと同じ、少し冷えた春風と柔らかな日差しに思わず目を細める。
眩しい朝陽にようやく慣れてきた俺の瞳に映ったのは、春風にふわりと流れる黒髪。
白く細いその指先。
そして。

「……お前たちも、ようやく食すに困らない気候になったな。今日もあの木のところへ行くのか?」
―――…ピピッ、ピィー…

「……」
鳥と、話してるのか。
薄緑色の小鳥2羽が、そっと差し出した少女の白い指先にちょこんと止まり、その羽を休める。まるで警戒する様子もない小さな命は、まるで彼女の言葉に返答するかのごとく小さな鳴き声をあげて。
俺ら人間とは違って……アイツは精霊だもんな。そう不思議な話でもないか。
そうだ。そんなことよりも。

アイツ―――…笑ってる。

初めて見る、少女の笑顔。

それは悲しみも、苦しみも、何一つ含むことのない……無邪気な表情。
サクラがこちらの世界に来て1月が経とうとしていたが、いまだに1度もその表情を見ることはなかった。だから、だろうか。
何となく……目が、離せないのは。

「……ああ、もう起きたか?」
「っ!」

小鳥たちがパタパタと空に向かったのがきっかけで、俺の起床に気付いたらしいサクラ。
俺は一瞬返答し損ねたが、欠伸をかみ殺す風を装ってその間を誤魔化した。

「ああ……いや、つか、俺どうしてお前の部屋ん中に、」
「私のことはいいから自室で休めと言っても、聞く耳持たずのようだからな。お前は」
「は?」
「昨晩、扉の外に魔方陣を仕込んでおいた」

あー、ハイハイ成る程。
その魔方陣で廊下からコイツのベッドの中に瞬間移動させられたって訳ね、俺は。情けねぇ。
まぁ、そんだけコイツの法術が優れているってことか。普通なら俺が気付かない筈のない法術の気配さえ、コイツのそれは簡単にかいくぐってくる。
初対面の頃こそ認め難かったコイツの能力の高さが、今では認めざるを得ないまでに見せ付けられている俺は、小さくため息を漏らした。

『私たちもそろそろ……距離を取ってもいいのかもしれんな』
「……」

夢の中の……コイツの言葉。
ちらりと視線を上げると、先の言葉を続けようとしないこちらの様子を不思議そうに見つめているサクラの姿。
何も悪くない少女の無垢な表情に、俺はなぜだか小さな苛立ちを覚える。

―――…思い上がるなよ、距離を取るなんざ。

“守”の法術を使うサクラとは異なり、俺が繰り出すのは“攻”の法術だ。
法術を持つ者は、通常その2つのどちらかしか使うことはかなわない。
法術を使うには各々その法術を司る星の神との“契約”が必要で、他の星の神と新たに契約することは契約違反にあたるからだ。

つまりどんなにその潜在能力が凄まじくとも、サクラは敵を討つことが出来ない。だから。

「だから……俺が、傍にいるんだろーが、」
「……ソイル…?」

だから。……俺が傍にいてやるから。
あんな泣きそうな表情、2度と見せたりすんな。胸糞悪い。

心の中でそう続けた俺だったが、当然のごとく目の前の少女にはその旨伝わることはない。
依然として訳の分からない思考を巡らせている俺の様子に、もう1度「おい、何かあったのか?」と問いただす声が耳に届く。
その声色は当たり前だがまだ……幼さが残っていて、何となく俺はホッと胸を撫で下ろした。

「あー…何でもねぇ。あ、つーかお前、ちゃんと笑うこと出来んだな?初めて見た」
「―――…は、」

何の気なしに発した俺の言葉に、目の前の少女の動きが止まる。

「は、って。さっき鳥に向かって喋ってたじゃねぇか。そん時」
「……ッ!!」

言い終わるが早いか否か。
サクラはその顔を真っ赤に染め上げてパッ!!とその顔を両の手で覆った―――…って。
……は?

「……もしもーし。サクラさん」
「…ッ、な、なんだっ」
「どうしてそんな顔真っ赤にしてるのかなー。あれ、もしかして恥ずかしくなっちゃった?まさか見られていたとは、みたいな」
「う、うるさいうるさい!!」

そういってかけなしの風使いの術(守と攻の中間法術)で俺のことを壁際まで吹き飛ばそうとしたらしいサクラ。
しかしながら、そんな中間魔法の応用なんかでこの俺に見切られない筈もなく。
身体を翻して軽く交わしてやると、未だに頬を染めたままのサクラの元へストンと着地してみせた。うわ、おもしれー。

「クク…ッ、んな照れんなって。普通だろ、生きてりゃ笑うことも泣くこともある」
「…っ、私は、」
「折角の可愛い笑顔、出し惜しみしてんじゃねぇよ」

そう言ってふっと笑ってみせると、俺はその頭に手を乗せる。
まだまだ子供で。身長も俺の胸元よりも下で。
なのにコイツに入れ込んでいる自分は―――…何なんだ。忠誠心ってやつか?

俺自身の中にいつの間にか生まれていた、ほのかな感情。

しかしながら元来剣技以外のことに殆ど興味を示さずに育った俺は、
頬を染めてこちらを見上げてくる少女の姿に微かに反応した自らの鼓動に気付きはしたものの、
この時はまだ……それを特別に意識することはなかった。

 

【episode7:刻まれた命】

「……何をしている、ソイル」
「は?」

公務の無い月の曜日。
もはや恒例行事と化していた、裏丘にそびえ立つ、桜の木への訪問。

そして……これまたいつも通り。小高い丘の麓前で1人、その歩みを止めようとした俺に対して投げ掛けられたのは……予想外の言葉だった。

「何って、」
「勝手に足を止めるな。……行くぞ」
「……」

そう短く告げてクルリと背中を見せるサクラに、俺はポカンと一瞬動きを止めながらもすぐに我に返ってその後を追って歩き出した。

勝手に足を止めるな……って。
いつもいつもいつも“ここで番をしていろ”って言われてきちゃあ、今回も当然そうだろうと思うのがフツーだろ。お得意の気紛れか。そうなのか。
そんな不満をぶつぶつ小さく呟きながらも、久し振りに大木の植わる個所に辿り着いた俺はその雄大さと美しさに……しばらくその口を閉ざす。

―――…サアア…ッ…

春風に、桜の花が心地良さそうに揺れる。

ガキの頃にこの桜の木を見つけて以来、1人になりたい時とか何か考え事をしたい時とか。
何かにつけて此処に足を運んでいた。
騎士団をまとめる立場になってからは、それもしばらく無かったが……

「―――…やっぱ、」
「……」
「綺麗、だな……」

無意識にそう口にした俺に、サクラの視線が寄せられるのを感じる。
しかし、それに反応することも忘れるくらい、俺の中には羨望に似た懐かしさが広がっていた。

この桜の木は、昔から他のそれとはどこか違っていた。
たとえば通常ならば狂い咲きと思われる晩冬の時期からその花を開き始めるのに対し、この国のどの桜の木よりも長くその美しい花弁を咲かせているところとか。
元は何も無く更地であったはずのこの丘に、いつの間にかその命を見せ始めたという伝説じみた話があるところとか。
まぁ……単にここらで1番大きな木だっていうのもあるが。

「お前にも、そのような風情を楽しむ感情があったのだな」
「ああ?どーいう意味だコラ」
「……この桜の木は、」
「シカトかよ」
「私の、父上だ」
「―――…」

……父上?

出かかった呟きさえ、言葉にすることを躊躇われた。

耳に届くのは周囲の風にそよぐ自然たちの音。
その場に突っ立ったままの俺たちはしばらく無言のまま……目の前の桜の木を見上げていた。

「花の精霊は、命を落とした場所に第2の命を与えられる。ただし、人型としてではなく……本来の植物の姿として」
「……お前の、親父さんも?」
「父上は春の精霊としてこの世界に来た。ちょうど10年前の春……私が3歳の時だ」
「……」

―――…10年前の、春?

少女の言葉に織り交ぜられた単語に、思わず反応した。
それと同時に、俺は自分の記憶を遡って“ある人物”の姿に思い至る。
10年前の春の精霊。
こちらの世界で、命を落とした……

「―――…“キルシュ=バオム”?」
「!」

「お前の親父さんの名前……あの、“キルシュ=バオム”か?」

口にした途端、懐かしさに胸が震える。それは俺にとっちゃ仕方なかった。

キルシュ=バオム。
親父以外に初めて―――…尊敬出来た男性。

てっきり女の着るものかと思っていた着物姿に、ガキの頃の俺は、最初単に好奇の視線しか向けてはいなかった。
その人がその年の“春の精霊”であること、名高い実力と能力の持ち主であること、その精霊の守護を俺の親父が任ぜられたことを俺は後々知った。

「知っているのか?父上を」
「ああ」
「…っ、それでは、お前も…ッ、」

「俺の……憧れの人だ」

―――…ビュウ…ッ…
一瞬、その勢いを増した風に片目を瞑る。
ん。サクラの奴……何か、言いかけたか?
風の鳴る音の片隅でその声を小さく聞き取った気がした俺は、その視線を少女に向ける。
しかしながら……視界に留まった少女の様子に、その問い掛けをするのを忘れてしまった。
これでもかというくらい目を丸くして、こちらをガバリと見上げている……サクラの表情に。

「おい。そんなに驚くことか?」
「…っ、いや」
「なんだよ。ああ……俺にそんな謙虚な考えがあったなことがそんな意外だったのか?」
「そうじゃ、ない、けど……」

……あれ?
プイッとすぐにそっぽを向いてしまった少女だったが、その発せられた言葉に、俺は小さな違和感を覚える。
年相応な―――…砕けた口調。だったような。

……いやいや。でもな、それを指摘したらまた今朝のように顔を真っ赤にして怒り出すんだろうしな。
また見てみたい気がしなくもないが、今はきっと、コイツにも思うところがあってこの話題に触れているのだろう。
そう考え至った俺はあえて今の少女のわずかな変化に触れることなく、無言で話の続きを催促している風な少女の頭をポン、と軽く撫でてやった。

「な、んだ…っ」
「こっちの世界じゃ知らない奴が殆どなんだろうけどな。……お前の親父さんは、この世界の救世主だ」
「!」
「10年前……こっちの世界で一時、大規模な戦争が発生しそうになったことがあった。それを済んでのところで止めてくれたのが……お前の親父さんだ」

この少女が、どこまで父親の死の真相について知っているのかは分からない。それでも俺は、言葉に詰まることもなく過去の記憶を話していった。

なぜならコイツの親父さんは―――…キルシュ=バオムは、恥じることなんて微塵も無い。
俺の中の、永遠のヒーローだったからだ。

「当時……勢力を拡大していた“北の民”の奴らの襲来が迫った時。お前の親父さんはこの国全体を覆い隠すどでかい結界を張って対抗してくれた」
「……」
「でもな、“北の民”側は元々お前の親父さんがいることも熟知していたらしい。当時むこうの世界で有数の実力者だった親父さんが1人になるこの召喚の機会を狙って、この国もろ共潰す気でいたんだ」

北の民。
平穏を嫌い争いに非常に長ける―――…この国の反対勢力。
そして、この国の守護を務める“四季の精霊”に対してもまた、古から引き継がれた確執が存する、云わば宿敵。

「父上の結界が、破られたと……?」
「いや、違う。この国だけを守ろうとするなら……例え100年かかっても北の民の奴らはあの結界を破ることはできなかっただろうな」
「…っ、ならば何故ッ!」
「でもな、あの人は―――…」

―――――――
――――
――

『親父っ、キルシュさんっ!!』

北の民による開戦ののろしが上がると、街の人々はたちまちパニックに陥り混乱を極めた。
そんな中、俺は真っ先に親父が務めている城へと向かっていた。ひたすら地面の蹴りつけて、汗を滲ませて。
この年の春の精だったキルシュさんの結界はどんな敵だって通ずることを許さなかったし、親父たちが率いる騎士団の編成も過去最強を謳われていた。
きっと親父たちが何とかしてくれる。今までだってそうだったから。

『待てキルシュ!!それはどういう意味か分かっているのか!?』

聞いたことのない、鬼気迫った親父の叫び声。
警護の兵士に居所を聞いた俺は真っ直ぐ城の裏に通じる細道を抜け、ようやく見つけた親父とキルシュさんの姿。
しかしながら、とても踏み込めない異様な空気を子供ながらに察した俺は、そのまま足を止め思わず草むらの中に身を隠した。忙しなく胸を打ちつける鼓動を聞きながら、俺は2人の方に目を向ける。
親父と……キルシュさん。
喧嘩、してるのか?

『分かっているさ。法術の契約を脱したら最後、俺は命を落とすことになるだろうな』
『ならば!簡単にそのような策を打ち出すのは止せ!!お前には向こうで待っている娘もいるのだろう!?』
『助けることの出来る多くの命に目を背けて、大切な家族を守り通せると思うか?』
『……ッ、本気、なのかよ…』

途切れ途切れにしか聞こえてこないその会話。ただ、表情だけは見て取れた。
親父は、今まで見たことがないくらいに、苦しそうで。

キルシュさんは、今まで見たことがないくらいに……穏やかな顔をしていた。

『―――…なぁに隠れてんだ、坊主?』
『…ッ!!』

次の瞬間、クルリと素早くこちらに視線を向けたキルシュさんに、俺はビクッ!!とその肩を大きく震わせた。
気が付くと俺の目の前には仁王立ちする親父とキルシュさんが影を作っていて、さっきまでの真剣な空気が嘘のようにニヤリと面白そうにこちらを見下ろしていて。

『ひひっ、相変わらずキレーな髪の色してんなぁ。橙色のメッシュ』
『…ったく、盗み聞きすんならもっと上手くやれ。馬鹿息子が』
『え、あ、えと。あのっ!!北の民の奴らが攻め込んでくるって、聞いて…ッ』
『ああ、大丈夫だ。俺とお前のとーちゃんがまとめて片を付ける。その代わり―――…ソイル、お前に1つ頼まれてほしいんだ』

凛とした視線をこちらに向けると、ニッと笑顔を浮かべる。絶望的な戦場の中でその笑みはまるで太陽のようで。
すべての、希望のようで。

『この“種”を……ヒカリの木の下で、目一杯空高くに放り上げてきてくれ』
『え…?』
『そうすれば直ぐ様、向こうに代替精霊の緊急召喚の電報が届く。ちっとばかし精霊不在の空白が出来ちまうだろうがな……きっと数分で“新しい”精霊が来る』

代替精霊?
緊急召喚?
立て続けに並べられた難しい言葉に戸惑う俺の手の平にポスンと落とされたのは、以前に1度だけ見せてもらったことがある。

茶色の石ころみたいな塊……“種”。
こっちとあっちの世界を繋ぐ―――…唯一の、鍵。

『あ、え?でもコレ、精霊しか使えないんじゃ』
『念を込めておいた。ここからヒカリの木までは10分もかからない。念が持続するには十分だろ』
『…ッ、待て、キルシュ、他に方法を…!!』
『時間がないんだよ!!』
『!!』

なおも食い下がろうとした親父に対し、それまでずっと淡々と話していたキルシュさんが急に声を荒げる。
驚きからか、一瞬動けなくなった俺に苦笑を漏らしたキルシュさんは、小さく息を吐くと静かにその口を開いた。

『―――…このままじゃ近隣の国は間違いなく全滅だ。このままこの国だけ生き永らえて、その先に一体何がある』
『キルシュ…ッ、』
『俺ら精霊がこの世界に来る目的は、自分らの身の保身のためなんかじゃない、』

―――…己の、信念のためなんだよ。

 

【episode8:掬い溢るる】

―――――――
――――
――

「キルシュさんは……この国に結界を張り続けることで、周辺国への被害が拡大することを予見していた」
「……」
「だから自ら契約を破り、“攻”の法術を使って―――…」

そこまで口にした俺は不意に……その続く言葉を呑み込んだ。
感じ取ったものは少女の頭に乗せていた手の平から伝わる、微かな震え。
え……なんだ?

コイツ…、
泣いて―――…?

「知っていて、くれたのだな……」
「……ッ、あ…」

ポタ…ポタ…
大きな瞳から、次々に流れ落ちる雫。

木漏れ日に反射するその雫が酷く綺麗に思えてほんの一瞬、見惚れている自分に気が付く。
我に返った俺は頭に乗せていた手の平を離し、内心慌てふためきながらサクラの顔を覗き込んだ。

その場に膝をついて見留めた先にはやはり……少女の泣き顔があって。

「サ、サクラ…!?」
「…っ、…ふ……」
「わ、悪い。俺……遠慮なくべらべら話しちまって、」
「……ソイル…っ!」
「え、―――…ととッ!」

まるで絞り出されるように、名を呼ばれたかと思うと。
一回り小さな身体が、屈んでいた俺に向かって……まるでぶつかるように飛び込んできたのが分かった。

不意打ちの衝撃に思わず後ろに仰け反りそうになるのを阻止すると、何とか体勢を立て直す。
俺はいまだに小さく震えるサクラの身体に慎重に手を回すと、自分も一緒に……ストンとその場に腰を下ろした。

あー…焦った。
いきなり飛び付いてきやがって。危うく後ろに押し倒されるところだってぇの……って。
―――…あれ?

彼女に気取られない程度の安堵の溜め息をついた俺だったが、次の瞬間。
自分と目の前の少女が……何やら異様なまでに密着していることに気付き、思わずギクッと胸が鳴る。

傍から見れば……そう。
この俺が、目の前の少女を熱く抱き留めているように―――…見えなくもない、この現状に。

「……ソイル、」
「ッ、な、何だ…?」

いまだ涙交じりの声を発するサクラに、俺はその動揺を悟られないように返事をする。
それでも微かに表れてしまった感情の波にも、どうやら気付かなかったらしい腕の中の少女は、「私は…、」とその言葉を進めた。

「私はずっと……ずっと、」
「ん…?」
「人間を、恨んでいた…ッ…」
「!」

ぎゅう…っと服の袖を掴むと、俺の胸にその顔を埋める。
その行動は、いつもの少女とは到底結びつかないもので。
それでも……年相応には違いないその仕草に、俺は不謹慎にもその胸を撫で下ろした。

身体の強張りがようやく溶けるのを感じると、俺はコイツが苦しくならないようにそっと……その身体に腕を回す。
―――…桜の、香りがした。

「父上は……人間の未来のために、命を賭した。それなのに、」
「……」
「……聞いたんだ。人間は父上に感謝などしていない。むしろ蔑んでいたと」
「……は?」

寝耳に水の言葉に、俺は目を丸くした。

「北の民の襲来は父上の命だけを狙ったものだった。人間の自分たちは助けられたのではない。巻き込まれたのだと」
「……」
「―――…“桜組総長は、疫病神だった”と……」

苦しそうにそう紡ぐサクラに、俺は無意識の内に……回す腕に力を込める。
確かにあの事件については、おおっぴらにキルシュさんの名誉を称える大規模な式典も執り行われることはなかった。でもそれは、彼の意思を汲んでのことだ。
俺の知らないところで……そんな馬鹿なゴシップが街で流れていたのか?

真実を知る城内の人間は今もなお、彼を尊敬し……感謝しているというのに。

「……サクラ、」
「―――…きっと父上自身、伝承されることを拒んだんだろうって……分かってたんだ」

肩の揺れが、大きくなる。
その細い肩が酷く頼りなく映って……俺は少女の身体をグッと自らに寄せた。

「でも……でも。だからってそんな誤解、あんまりだ、……父上は…ッ、」
「サクラ」

「娘の私の存在に目を瞑っても、こちらの世界を守ったというのに……っ!」

どのくらいの間そうしていたのだろう。

桜の木が風に揺れ、時折視界にその花弁が舞う。
その風景を、俺はサクラの流れるような黒髪越しから……ただじっと眺めていて。
少し高めの体温が、酷く心地良かった。

「……少し、落ち着いたか」
「ん……もう、平気、だ」

そう言って大きな目を擦るサクラの表情は、まだ少し悲しそうで、少し……恥ずかしそうで。
それを気取られないように俯いたままでいるサクラに、なにやら胸の奥から温かな感情が込み上げてくる。
それはまるで、春の優しい温もりのような……温かな感情。

「ソイル」
「、あ?」
「お前が、な。父上のことを知っていてくれて……良かった」

―――…ドキン…

「……そりゃ、どういう……」
「私も、分からない。ただ、」

悔しさを僅かに滲ませながらこちらを見上げる。
必然的に上目遣いになるその大きな瞳には、いまだに涙跡が残っていて。
そんな至近距離からのサクラの視線に……明らかに動揺する自分。

……何だ、これ?

「お前だけは……何故だか、憎む対象にしたく、なくて……だから、」

冗談じゃない。
コイツはまだ13歳だ。そんで護衛対象。
それなのに、収まることなく湧き上がってくる。

衝動に似たこの感情―――…まるで。

「嬉しかった。ソイルが……私の父上のことを、見誤っていなかったことが」
「……っ、」

―――…嘘だろ、オイ。

視界にはっきりと映り込んだ、初めて俺に向けられた―――…少女の笑顔。
それを見留めた途端に、不規則な鼓動が身体を駆け巡る。

ほんの少し自分の熱が上がった気がするのは、少女もまた、顔をほんのり赤らめているからだ。それにつられただけ。きっとそうだ。
そうでなくちゃ……困る。

―――…ザアア…ッ

その時。
春1番、にしては酷く緩やかで柔らかな風がこの丘の上に辿り着き、薄紅色の花弁が俺達2人を包み込んだ。

 

【episode9:束の間の…】

「―――…ッ!!」

その緩やかな風が止み切った直後。
僅かに感じ取れた違和感に、俺はガバッ!!とその顔を上げた。

遠ざけて。今居る場所から意識を遠ざけて凛と空気を研ぎ澄ます。そして辿り着く、平穏とは違う気配。
戦乱に何度も身を置いた自分の直感―――…間違いない。こいつは。

「……ソイル?」
「敵軍が……こちらへ向かってる。ちょっとは勢力のでかい奴らのようだな」
「!」

俺の淡々とした言葉に、サクラはその瞳を丸くしてこちらを見上げる。
幸い今日は騎士隊に他の任務は何も入っちゃいない。
全体出動させても支障はねぇだろう……被害状況によっては明日からの編成を少しいじくらなきゃならねぇが。
まだ遠い敵軍の気配を追いつつ、俺は騎士隊の配備と戦闘の流れを考える。

久し振りの派手な喧嘩。
背負っていた剣の帯ををするりとはずすと、俺は一斉に騎士団召集の電鈴の術を発した。

――
――――
―――――――

「敵は南東から向かってるらしいね。好都合じゃん?ひっさびさに俺の竜ちゃんとタッグが組める~!」

ぞろぞろと背に10数名の騎士を引き連れていることも忘れてか、オーシャンは空に向かってググ~ッと両手を広げるとなんとも嬉しそうにをそう叫んだ。

「オーシャン……お前いい加減にその呼び名改めねぇと、また“青龍”の奴にそっぽ向かれんぞ」
「いーの!!俺と竜ちゃんの絆は3年前の大喧嘩でますます深まってるんだから!!」

まるで戦乱直前の会話とは思えないほど、緩やかな会話。
隣でニシシッと笑ってみせるオーシャンに、俺は聞えよがしの大きな溜息をつくと再びその口を開いた。

「東部分はお前のテリトリーだからな。余分な敵をこっちに回すんじゃねぇぞ」
「はいはい。つーかソイルだって南ちゃんとも久し振りの攻防じゃん。最後は労りの言葉の1つくらい掛けてやんなよね~」
「誰が南ちゃんだ。“朱雀”だボケ」

またも妙な呼び名を放つオーシャンを一蹴すると、俺らはいつものように正面から顔を確認し合う。ったく……これから戦闘だってのに嬉しそうにしてやがる。
相変わらずなコイツにしばらく視線をくべていた俺だったが、国境付近の更地を進み見慣れた二股の分かれ道に差し掛かると、どちらからともなく……その歩みを止めた。

「……少しでも状況が変わったら電鈴を入れろよ」
「ははっ、そりゃーこっちの台詞!ソイルってば限界まで助け呼ぼうとしないで全部1人で始末しようとするんだもん」

そう言って小さく笑いあった俺たちは、
お互い右手を空にかざすとパシ…ッ!!と交し合った。

東の青龍、
南の朱雀、
北の玄武、
西の白虎。

古来から世界の四方向を守護する聖獣。
それは“攻”の法術を司る神より認められし者が与えられる―――…四聖獣の名だ。

この国の騎士団の中でその聖獣の召喚が認められている者は3人。
“青龍”を携える第2騎士団団長のオーシャン。
“白虎”を携える第3騎士団団長のヒトバルス。
そして―――…

「よ。最近は大きな戦もなかったからなぁ、身体鈍ってんじゃねぇか?朱雀」
『ふ…、その台詞、そのまま再会の挨拶として送り返そうか。ソイル』

その羽は5色に光り輝き、火の意を司る。
この世の鳥の王に君臨する鳳凰・“朱雀”を携える―――…この俺だけだ。

実際一国で四方のうち三方の聖獣の能力者が集結しているなんざ至極珍しいことで、通常ならば一方の聖獣の存在があればいいもの。
何の因果か揃いに揃った聖獣たちのお陰で、俺たちの戦闘方法は殆ど固定される。つまりは、己の宿した聖獣の司る方角に。

『ああ、そういえば……久しく会わない内に変な噂を聞いたんだが、ソイル』
「ああ?」
『お前が最近、年端もいかない少女にゾッコンラブらしいと。色恋沙汰なんてこれっぽっちもなかったお前が……まさかとは思ったんだが、』
「ッ、な…っ!!」

あっけらかんとそう述べやがった朱雀のお陰で、精神を集中させていた俺の努力は早くも無駄になってしまった。
否定する間もなく『……すまなかった。忘れてくれ…』と諦めたように零す朱雀。
え。つーか何なの、その同情じみた視線。
もっかいカーネリアンの勾玉の中に戻してやろうか、ああ゛?

『別に戻すのは構わんが。その分戦闘が困難になるのはお前だぞ、ソイル』
「心読むな!!分かってんだよんなこたぁ!!」
『くく…ッ、相変わらず子供っぽいな、お前は』

首から下げた朱色の勾玉・カーネリアン。
これは“攻”の法術者から与えられた、四聖獣が1人・朱雀を召喚することの許可の証であり、これと意思疎通することの出来る翻訳器の役割もある。
要するに俺たちの会話は(少なくとも朱雀の奴の言葉は)周りの第1騎士団の奴らには理解されていない。

傍から見れば突然朱雀に向かってぎゃんぎゃん騒ぎ出した俺に、部下たちの呆気に取られた視線が注がれていることにようやく気付いて。
俺はこめかみをヒクヒク震わせながらも、小さく舌打ちをするとそれ以上の言葉を何とか呑み込んだ。

『それで?その噂の少女っていうのは、今何処に、』
「……忘れていいんじゃなかったのかよコラ。アイツは四季の精霊としてこの世界に来たんだ、今は城の中枢でこの国にでっかい結界張ってるわ」
『ああ、成る程な。こんな戦乱の最前線にわざわざ護るべき者を連れて来る筈もないか』
「……ああ」

城を発つ時。
いつものように冷静な眼差しを送る一方で、最後の最後まで不安を隠しきれていないサクラの表情が……何故かやたらと瞼に焼き付いている。
それでも他の騎士の奴らはサクラのそんな様子に微塵も気付いていなかったことに、俺は密かに優越感を抱いていた。
いいんだ、これで。

お前の不安も笑顔も、
―――…俺だけが、知っていれば。

『ふ……折角の再会だ。もう少しお前が喚く姿を見たかったが……そろそろか』
「余計な御世話だ。―――…近付いてくる」

目に見えて淀みだした空。
先ほどまでの晴天が嘘のように黒く重い雲が広がっていったかと思うと、
まるで戦闘の合図かのように、大きな稲妻が1つ―――…遠くの山に直下したのが見えた。

「……宜しく頼むぜ?相棒さんよ」

 

【episode10:遠くから】

「オーシャン!!聞こえるか、そっちの状況は!?」

―――…ザシュッ!!
目の前の敵を次々となぎ倒しながら、剣を持たない他方の手で電鈴の術の魔法陣を素早く作り出すと、俺は適当に声を上げた。

『んーん。問題ナッシング!!むしろ応援いつでも行けるよ~人手貸そうか?』
「いらねぇ、こっちも同じだ。残り所要時間は!?」
『え~とっ、……あと5分!!』

こちらにも都合のいいオーシャンの返答に口角を上げた俺は、「上等!!」とだけ言葉を発すると、再び両手を剣に遣り戦闘の最前線に身を置いた。

今対峙している敵の軍勢は、人数こそ凄まじいものではあったが各々の兵は大した力を持っていない。
俺が副団長を務める第1騎士団の部下の奴らも、今のところ派手な負傷をした者は見当たらないようで、俺は小さく安堵の溜め息をついた。

このままなら……サクラの結界にも殆ど負担を掛けることもねぇ、な。
それにしても―――…

「ソイル副団長!!お怪我はありませんかっ!?」
「見りゃ分かんだろ。それよりココナッツ。コイツ等……一体何処の手先か分かるか」
「へ?いや、緑の文様の入った城のカブトしてますし……武装からいってアンバンス共和国の者たちでは……?」
「……」

やっぱり馬鹿だコイツは。
むしろ期待を裏切らない間抜けっぷりに俺は先ほどとは180度異なる意の溜め息をついた。

「ちょっ、なんスかその溜め息は!?」
「よく見ろやこのボケ。アンバンス共和国の兵は長身の刀を使うのが習わしだ。コイツ等……刀以外に弓矢や剣、鎖鎌まで持ち出してやがる」
「あ。本当だ」

ポン!と手の平を打つココナッツ。
此処が戦場じゃなかったらこのまま土に埋めてやるところだ。命拾いしたな、お前。

「副団長!!今攻めてきてる連中……おそらくニーゲル帝国の兵かと!!以前顔を見たものが居ました!!」
「あ、俺は先ほど、ワルコ共和国の兵を確認しました!!隊1つ分くらいは居たかと……」
「……なんだ、3国が手ぇ組んで攻めてきてるってことか?」

いや、この人数……6,7国の兵の寄せ集めか。
それも全て北に住まう国の集まり。昔こそ円満に貿易していた国もある。周辺諸国で結束したってことか?
ま……いずれにしても俺らの国に刃を向けようとする連中に変わりはない―――…まとめて、討ち払ってやるまでだ。

『―――…やるか、ソイル』
「ふ…っ、馬鹿な部下約1名と違って察しが良くて助かるぜ、朱雀」

少し離れたところから「それってぇ、俺のことッスかぁ!?」と嘆くココナッツ。今回は察しが良かったらしい。

「テメー等伏せろ!!朱雀、気ぃ溜めとけ。いくぞ!!」

―――…ズドッ!!

両の手を添え、力強く地面に突き刺した……形見の剣。
俺の短い掛け声にもかかわらず、最早慣れたようにその身体を翻した部下たちを確認すると、俺はぱあ…っと熱を帯びて空中に浮遊し始めるカーネリアンの勾玉を取り出した。

それに呼応するように朱色に揺れる力の集結を開始した朱雀の様子に、
……俺は静かに口を開く。

「“南に宿りし朱色の羽に”、」
「“苦渋活かせば道は開けむ”、」
「“紅蓮煌めき今放たれん”!!」

俺の呪文が読み終わるのと同時に、朱雀はその朱色の両翼を大きく広げた。

黄金の口ばしに集まった燃え盛る炎が、
その光を極大に張り上げる。

「―――…“四神召喚”!!!」

***

「ああ、こっちも片付いた。北と西の連中も半数を見張りにおいて退却させろ」

電鈴の術で再びオーシャンに言伝をした俺は、やっと一息を吐くとクルリと辺りを見渡した。
朱雀の放った紅蓮の炎によって殆ど敵を倒したが、そのかわり……使える手がかりも一緒に灰になっちまったな。

今回の騒乱といくつもの国の連帯。そう易々話が進むものではない。
ましてや、この国は妬まれはすれど恨まれることは滅多にない筈で。国家間も目立って不仲な国なんてたかが知れていると思っていたが……
愛国主義的な、ただの自惚れだったのか?

『ソイル。一先ずの片は付いたか?』
「ああ。呆気無くてすまねぇな。よくやってくれた」
『いつものことだがな。今度召喚するときは、例の少女を拝ませてくれることを期待している』
「……へーへー。次の召喚が夏になる前ならな」

多少疲れが出たためか適当に相槌を打った俺に、朱雀はニヤリと笑うと「夏か……もうあまり、時間がないな」と意味深に告げてきて。
何故だかその一言に……俺は自分の胸が小さくざわつくのを感じた。

「……んだよ、そりゃあ」
『別に他意は無いさ。それでは……失礼する』

そう言って律儀に頭を下げたコイツは、炎のように揺らめく光にフワ…ッと包まれる。
そしてその姿をゆらりと揺れる炎の中に隠すと、俺の首に提げる勾玉に……流れるようにシュルンと入り込んだ。

なぁーにが“他意は無い”だ。あの嫌味野郎が……

俺はそう心の中で悪態をついていると、不意に……風が運んできた小さな紙切れに目が留まる。
そして風に再び舞ったその紙を反射的にパシッと掴み取った俺は、それに視線を落とした。

「……?こいつぁ…」

そして次の瞬間。
俺はつい先日の“ある記憶”を甦らせると同時に、その目を見開いた。

「ソイル副団長!!あとは俺たちが警護するんで、副団長は城にお戻りなって国王にご報告を……」
「―――…おい!!第1騎士団全員、敵さんの頭領格の首元を調べろ!!今すぐだ!!」

その場にいる部下全員に十分聞こえる声量で、俺は叫ぶように指示をした。
ドクン、ドクンと嫌な鼓動が体を駆け巡る。
―――…この、白い紙は。

「あ、ありましたよ副団長!!挙旗馬に乗っていた兵の首の裏に……変な紙が貼り付いて!!」
「しっかしよくもまぁ残ってましたね?紙なんて、朱雀様の業火で真っ先に消し飛んじまいそうなものを……」
「―――…!!」

部下1人・クルエールが手渡してきた同様の白紙を見て、俺は息を呑んだ。
先ほどのものとは違い、こちらの紙は端に焦げ付いた跡がある程度でその形や文様がハッキリと残っていた。
……そう。

式神を操らんとする、人型の白紙。
以前、サクラの命を狙った式神の呪詛と全く同じ―――…藍色の文様が。

―――…ドオオォ…ンッ!!

その時。
突如地面が響くほどの激しい揺れが起こり、俺たちはその場にバッ!!と身体を伏せた。

「う、わ~…なんだよ、今のッ!?」
「地震か!?それとも別の……って、副団長!?」
「―――…サクラッ!!」

無意識の内にそう叫んでいた俺は背後の部下たちの呼び掛けに反応することも忘れ、そのまま真っ直ぐに来た道を引き返していた。
ドクン、ドクン、ドクン……
酷く嫌な打ち方をする胸の鼓動に、俺はギリッと歯を食い縛る。いくら地面を蹴り上げても、なかなか縮まらない城との距離がもどかしい。

そして上空に視線を移した時。
ちょうど城がそびえる中心部に向かって、結界外部から激しく光線が放たれているのに気が付いた。

今もなお、サクラの張る結界を押し退けようと、休む暇なく攻撃を続けていて。

「まだ、残兵が居やがったのか…ッ…」

でも、そうだ。
可笑しかったんだ初めから。

南東は俺とオーシャンが守護する四聖獣・朱雀と青龍が待ち構えていることは当然予想出来た筈。
なのに何故、北の各国率いる兵が、わざわざ南東から攻め込んできたのか?
それはおそらく……先ほどまでの兵たちは全て“捨て駒だった”ということなのだろう。

―――…能力者が、勾玉から四聖獣を召喚出来るのは、1日に1回だ。
数をきかせた攻防で、俺には朱雀を、オーシャンには青龍を、ヒトバルスには白虎をそれぞれ召喚させ、戦闘を終わらせたように見せかけ勾玉に帰還させる。
それが……初めから敵の狙いだったとすれば。

現に、四方からの兵を鎮圧した今になって、禍々しいほどの黒雲が我が国の中央に集まってきているのが分かる。
中央とはすなわち、この国の王家が住まう……城が存する場所。
先ほどの藍色の文様が刻まれた呪詛の紙といい、間違いねぇ。
これは―――…

「最初っから……狙いはサクラかよ…ッ!!」

一国の戦闘時指揮管理官として、剣を振るい生き抜いてきた1人の騎士として、
そして何より、あの少女の―――…護衛役として。

開いてみれば至極単純な敵の戦略をも見抜けなかったことに、俺は腹の底から悔しさを滲ませた声を上げる。
そして城に続く細道が森林の中へを向かう箇所までたどり着く。
そして素早くその手で魔方陣を書き記した俺は、氷気の術で森という障害を忍者の如くすり抜けていった。

 

【episode11:北の異邦人】

城の裏手にそびえた、桜の木。
その薄紅色にようやく辿り着いた俺の視界に飛び込んできたものは、小さく眉を寄せながらも、真っ直ぐに両手を天高くに向けている―――…少女の姿だった。

「―――…サクラ!!」
「ソイル…!お前、どうして……」

ケガは……無いみたいだな。

その少女の傍らに国王であるアースも付いていて。
俺は幾分か胸を撫で下ろしてそう告げると、そのまま2人の傍へと寄っていった。

「ソイル!遠方の国が結託して攻め入って来たって?ケガは…っ」
「ああ平気だ。それよりなんで国王のお前とサクラが裏庭に……王座に居たんじゃないのかよ?」
「サクラちゃんがね、攻撃の方角が何だか可笑しいって言ってたんだよ」
「!」

そう言っていまだ攻撃が続けられている上空に視線を移すと、アースは静かに口を開いた。

「わざわざ四神の居る方角ばかり狙って、唯一不在の北からは殆ど攻め込まれていないみたいだって。だから戦闘態勢解除の電鈴があった後もサクラちゃん、こうして外に出て直接結界を張り続けてくれてたんだ。そしたらさっき急に―――…」
「黒い稲妻が、この城に目掛けて落ちてきた。自然発生じゃない―――…“攻”の法術によってだ」

黒の、稲妻?

サクラが口にしたその単語に、俺は無意識に……その目を見開く。
先ほどの地面を揺るがすほどの強い衝撃。その特有の揺れ方から電光によるもの攻撃だろうとの察しはついていた。しかし、その色まで確認することが出来なくて。

それは、忘れようとしても忘れられない……まだ幼き頃に植え付けられた記憶。
尊敬する人を奪い、父親にも重傷を負わせることになった―――…憎き宿敵の。

俺はグッと拳を作ると、無言のまま、ただ意志を持ってその視線をアースに向ける。
するとアースも俺と同様の視線を馳せると、サクラに気取られないように小さく頷いた。
ああ……やっぱり、間違いない。

“黒い稲妻”―――…それは、10年前に襲来してきた奴らの、
キルシュさんが命を賭して戦った……“北の民”の、十八番の攻撃だった。

キルシュさんの命を狙い、結果死に追いやった戦闘集団・北の民。
それが次は、娘であるサクラを狙っている……?

「ソイル!!アース、サクラちゃんも!!さっきの稲妻って法術だよねェ!?皆ケガはなかったッ!?」

漂う重い空気。
それを打破したのは……先ほどまで戦地に赴いていたとは到底思えない、子供のように元気有り余る声で。
その瞬間サクラはきょとんと目を丸くし、俺は溜め息をつき、アースはいつもの緩い笑顔を浮かべて帰還した幼馴染に手を挙げた。

「……また、やっかましい奴が帰ってきたな」
「こっちは今のところ大丈夫だよ。オーシャンの方は?戦況は特に問題なしって聞いてたけど」
「いやいや、全く問題なかったけどさ。さっきの稲妻にビックリして、国境に数人残して急いで引き上げてきたんだよ~!でもサクラちゃんの結界に守られてたみたいだね!!」
「……それが、私の仕事だからな」

よかったぁ~、そう言って情けなく眉を下げたオーシャンに、俺はふっと小さく口角を上げる。
能天気なコイツとの遣り取りも、こういう切迫した空気の中ではむしろ有り難いものだな。……調子に乗るから絶対口にしてやらないが。
―――…その時だった。

『―――…お前が、10年前の騎士団長のせがれか……?』

戦闘集団・北の民を束ねる総督。
10年前キルシュさんの死を画策し、俺の親父に重傷を与えた張本人。

まるで黒雲のような民共を操るように、サクラの張る結界の更に上空に―――…“北の魔王”が、その姿を現したのは。

「……随分とまぁごぶ沙汰じゃねぇか。10年間のご隠居生活はどうだったよ、北の魔王」

親父の敵と対峙しているものの不思議と動揺することなくそう告げる。
そんな俺にふっと小さく笑みを浮かべると、北の魔王はその口の開いた。

『ほお……我を覚えていたか。あの頃はまだ、お主もただ手の掛かる童であったと記憶しておるが……』
「テメェは相変わらず、年齢不詳の気味悪い見てくれしてんな……吹っ飛んだ右腕はもう平気なのか?」

漆黒の長髪。血のように真っ赤な切れ長の瞳。
闇のように黒い胸甲やバックラーを携え、物々しいほどに立派なマントに身を包んだ……その姿。

多少色褪せていた記憶さえハッキリと頭の中に蘇ってくるのを感じながら、俺は背負っていた剣をスルリと目前に取り出した。

「……どうやら1人でやる気みたいだね、ソイルってば」
「アース、オーシャン。サクラのことを頼むわ」
「無理してんじゃないのー?さっきまで数千人の兵とやり合ってたのにっ!」
「あんなん、準備運動みてぇなもんだ。最後は殆ど朱雀に任せちまったしな」

今日はもう、四聖獣である朱雀を召喚することは出来ない。まぁそれはそれで都合がいいかもな。
なんてったって、この状況ならば思う存分―――…

「…っ、ソイル…!」

ギラリと獲物を見定めていた俺の耳に届いたのは、今まで殆ど沈黙を守っていたサクラの声。
珍しく、自らの不安に揺れる感情を隠しきれていない―――…少女の。
だからこそ。

「―――…せいぜい、ハラハラしながらここで待っとけよ」
「ッ、何を…っ!」
「そんで、」

そのでかい瞳に―――…刻み込んでおけ。

ぽん、と少女の頭を短く撫でる。
そして少女の静止の言葉を待つことなく、俺は氷気の術で上空に向かって氷の踏み場を作り上げると、早々と結界の外に抜け出した。

何の隔てもなく、改めて目の当たりにする宿敵に、俺は真っ直ぐ視線を向ける。
その身体から溢れんばかりの、“負”の気。
そして、対峙から数秒もかからない内に気付いた……自らの身体の、僅かな異変。
まだ見えない相手の手法、体力、目的。そんなのを、すべて呑み込んでしまう程に。

ああ、やばい。
身体が、震えて……止まらねぇ。

スッと目を細めた北の魔王の言葉に、俺は呼応したかのようにその剣を構える。
そうだ。初めは全部……ここからだった。
剣を振るうことも。
それで、何かを守ることも。

『どうやらお主の身体は……我に会えたことを、喜んでくれている様子だな……』
「……ああ。こんなん、生まれて初めてだ」

こんなに激しい―――…武者震いが起こるのは。

 

【episode12:抉られた過去】

―――――――
――――
――
『ソイル。お前は良いよなぁ~、とーちゃんがこの国の騎士団団長で』

まだ、剣の本当の重さも……それを振るう意味も分かっていなかった、ガキの頃。
不意に俺よりも2,3年早くに入場した年上の奴らから放たれた言葉に、道場から家に帰ろうとしていた俺はただ首を傾げた。

『お前がいなけりゃ今だって俺がこの道場で大将の陣に入ってたのに……年下のくせに生意気なんだよ、お前』
『はぁ?なんだそれ、ヒガミかよ?』
『ははっ、調子に乗んなよ。大体……お前が入場して早々大将の陣に入れたの、全部自分の力だとでも思ってんの?』

まるで逆なでするように発した台詞。
その言葉が、まずかった。

『お前の実力なんかじゃねぇ。お前のとーちゃんがこの国のトップだからに決まってんじゃん!』
『国へのゴマ擦りのために、待遇良く迎えられたんだよ、お前はよ!!』

それが……今思えば1つの切っ掛けだった。

親父の存在をも凌駕するくらいの実力をつける。
ただそれだけを求め続けて、俺は生きる者に剣を向けることの意味を考えることなく、俺はただがむしゃらに訓練に臨んでいた。
あんな奴らの言葉で剣を手放すのは子供ながらに我慢ならなかったし……何より、そんな口を叩けなくなるくらいの圧倒的な力を付けてやろうと思った。

自分で、自分を疑う。
あんな惨めな気持ちだけは―――…もう2度と、抱くことのないように。
――
――――
―――――――
『剣を交えながら考え事とは余裕だな。ソイル副団長』
「……はっ、テメェこそご丁寧に力加減してんじゃねぇか。魔王サマが器用なこって」

―――…ガキィィン…ッ!!
時折その刃が相手をかすめるが、問題となる程度までは至らず、ただただ時間だけが過ぎていった。

言葉を淡々と交わしながら、互いの剣筋を読み、その度に辺りに轟く金属のぶつかり合う音。
その音が鼓膜を揺らす度に、敵を捉える視覚が、剣にかかる触覚が、全ての感覚が研ぎ澄まされていく。
そんな感覚の中で俺が不意に思い至ったのは―――…今まで考えることもなかった、剣を振るう理由。

自己満足と言われようが、他人の幸せを潰すことになろうが。
そんなこと全て投げ打ってでも―――…“守りたい”と思える存在。

ただそれだけの為に……俺は、敵を斬る。

『―――…どうやら想像以上に、我を楽しませてもらえるようだな』
「そいつは違うな。楽しむどころか、お前はもうすぐあの世行きだ」
『過信した己の力は、自らを滅ぼすぞ』
「理屈は良いんだよ。ただな、もう決めちまってんだ」

そう言葉を続けた俺は、先ほどの避け切れなかった剣筋に壊された左腕のバックラーを投げ捨てると再び、剣の先を目の前の敵にスッと差し向ける。

「守ると決めたモンがある」

それは自ら生まれ育ち、数多の仲間が守り通してきたこの国と、
まだ幼いながらに重すぎる使命を背負った……あの少女。

「それを暴こうとしやがる奴は―――…例え神でも噛み付くぜ、俺は」

瞬きすることなくそう告げる。
そんな俺に対ししばらく沈黙を守っていた北の魔王だったが、小さく顔を俯けたかと思うと、小さく口角を上げているのが見て取れた。

『なるほどな……そのような甘い考えで、10年前も桜の精は命を落としたということか』
「……んだと?」
『お前は知らない。人の心が、どんなに脆く出来ているかということを』

突然投げ掛けられた抽象論に、俺は眉間にしわを寄せた。
意図が見えない。ここで新しい新興宗教でも開拓するつもりか?
さして深くは考えることなく、足元の氷をグッと蹴りだし間合いに入り込もうとした―――…その時。

「まただ!!」
「また、“桜の精の悲劇”が、繰り返されているぞ……!!」

突如として耳に届いた……地上からの複数の叫び声に、
俺はその進む足を止めた。

―――…“桜の精の悲劇”?

聞き捨てならないその叫び声。
目前の敵に隙だけは作らぬよう細心の注意を払いつつ、俺はその言葉の発信源である地上の方へその視線を向けた。

すると視界には、先ほどまで姿がなかった街の者たちが城の裏庭に集まってきていて。
もともとその場所は非常時の国民の避難場所と定められていたため、そのこと自体はさして気に留めることではない。
しかし……問題は、その話題の矛先だった。

「10年前と同じじゃないか……」
「また“桜の精”が現れた季節に、北の民たちが来やがった!!」
「自分らのケンカは余所でやっとくれよ、」
「巻き込まれるこっちはいい迷惑だよ、全く…!!」

『……聞いたんだ。人間は父上に感謝などしていない。むしろ蔑んでいたと』
『北の民の襲来は父上の命だけを狙ったものだった。自分たちは助けられたのではない。巻き込まれたのだと』
『―――…“桜組総長は、疫病神だった”と……』

「ッ!!」

ヒュ…ッ―――…バチバチバチィ!!

「きゃああ!!」
「な、なんだっ!?」

俺は煮えくり返る怒りの中で、無意識のうちにその剣から白の閃光を放っていた。

桜の木の下で涙ながらに語られた、サクラの心の傷。
それに無遠慮に触れて、無垢な少女を傷つける―――…街の奴らに向かって。

キルシュさんの意志を知ろうともせずに勘違いを続ける街の奴らへの。そして……この10年間、それに気付くことも出来なかった自分への苛立ち。
予想通りサクラの結界に阻まれ、直接地上に届くことはなかったものの、その閃光の術に籠められたやりきれない感情に、俺は剣を持つ力をギリ…ッ!と強めた。

「……あのふざけた噂を流しやがったのも、お前が仕組んだことか」
『人聞きが悪いな。我はただ10年前の戦のあと、我が式神を通じて街の者数名と話す機会を持ったのみ。ここまで多くの者に認知されようとは思わなんだ』
「テメェ……いけしゃあしゃあと」
『我に殺気を向けるのは構わんが……お前の大切なおなごは、どうやら調子を崩しているようだな』
「何を……、ッ!!」

北の魔王の言葉を一瞬受け流しそうになった俺だったが、その意図を汲み取ると再び地上にその視線を向ける。
そして次の瞬間……言わんとしていることをすぐさま理解することが出来た。

―――…結界の威力が……弱まっている?

「っ、サクラ!!」
「……ッ、大丈夫だ…っ…」

ググッと地上を踏みしめて、眉を寄せながらも目一杯の気を送り続けるサクラ。
その顔色は、お世辞にも良いとは言えなくて。
先ほどまで無遠慮に発せられていた街の者たちの言葉―――…その心無い言葉に、おそらくは父親の記憶を思い返し精神が乱れたに違いない。

あの少女を、守ると決めた。
それなのに。

「サクラちゃん、顔色が…ッ!」そう言って、よろけそうになる小さな身体に慌てて手を添えるオーシャンの姿を見留めつつ、俺はギュッと眉間にしわを寄せた。

『……桜の組の者は“春の精”では特に群を向いての力を持っている。しかし更なる繁栄を願う他の期待も相成りその交配が複雑化するが故……その切っ掛けさえ掴めば崩壊もまた容易い―――…10年前のように、な』
「……なんだと…?」
『こういうことだ』

北の魔王は背筋の凍るような冷たい笑みを浮かべると、剣に念を込める様子を見せる。
そして自分の周囲にいくつもの呪詛の札を浮かび上がらせると、一斉に、その札から黒の光を地上に向かって放出させた。

それは禍々しいほどの黒の光。
しかしながらそれ自体の威力は、先ほどの黒の稲妻に比べてさして問題になるほどのものではなかったらしい。
多少力を落とした状態のサクラの結界も、なんの問題もなくその光を阻むことが出来ていて―――…それでも。

戦いの現場に慣れない、地上の街の人々。
その不安を煽るには……十分過ぎる催しだった。

「う、わああ!!またっ、また黒の光線が!!」
「助けてぇ!!」
「惑うな!サクラ姫の結界が解かれることはない!!」
「しかしアース国王!!10年前のあの時だって、結局結界は破られてしまったじゃないですか!?」
「いいから!ちょっと落ち着いてよ、皆っ!!」
「これが落ち着いていられますか、オーシャン団長!!」

アースやオーシャンの声もまともに届かない。
それほど群衆の情緒がもろくなっていたのか……もしかしたら、北の民の奴らが前もって何かしら不安を増長させる策を施していたのかもしれないが。

何にせよ、今俺の心中をざわつかせていることは、いまだにその視線を落とすことなく……この国を守らんと結界を張り続けている少女の事だった。

『群衆とは哀れなものだ。己可愛さに容易く混乱に身を沈め、敵味方の分別さえ見失う』
「……ああ、全くだな」

―――…ズバッ!!
幸か不幸か。抑えのつかないこの感情はそのまま剣を持つ力に変換されたらしい。
先ほどよりも勢いの増した俺の剣筋に、一瞬前まで涼しい顔をしていた北の魔王に1番の傷を負わせた。

飛び散る血の色が、黒く見える。
……どうやら思っている以上に頭に血が上っているらしい俺は、間髪入れずにその剣を振り下ろす。
そして激しい火花を飛ばしながら再び敵の剣と組み合うと、俺は静かにその口を開いた。

『……素早さが上がった、か。先代と同様、実力の計れぬ奴だ』
「何故……サクラを狙う」
『桜組は代々その潜在能力を増している。中でも1番厄介なこの娘を仕留める絶好の機に、危険な芽は摘んでおく―――…それだけだ』
「させねぇと言ったら?」
『10年前……お主の先代の父も、そう言っていた』

思わぬ親父の話題に、俺はピクッと小さく肩を揺らした。
そして子供の記憶ながらに思い出す、
口論する2人の背中と―――…悔しそうに歪ませる、親父の表情。

『しかし、お前の父は結局、あの桜の精の死を止めることはかなわなかった』
「…ッ、」
『そしてそれは……再び、繰り返される』

何かを悟ったようにそう告げた北の魔王に、再び剣筋を向けようとした―――…次の瞬間。

「何が結界だ!!災いの元凶が守護の精霊だと!?ふざけるな!!」
「噂に違わず……桜組の精霊はロクなもんがいねぇ!!」

地上から響き渡った群衆からの罵声を合図に、
それまで清浄さを極めていた桜の結界が―――…その姿を消した。

 

【episode13:錯乱】

『……!』
「ッ、うわ!?」

突然の強力な気の流れに、俺も北の魔王も、その体勢をガクッ!!と大きく崩した。
エアーバランスが……なんてもんじゃない。
まるでこの地球の重力そのものが歪みを起こしているかのように、視界が不確かなものになる。

「―――…クッ!!」

まるで天変地異に近い状況。
氷気の術で身体を支えることもままならずバランスを失った俺は、ズササッ!!と砂埃を立てつつも何とか地上に着地する。
そして辺りの状況を素早く確認しようと視線を馳せると、その視界に広がった光景に……俺は目を見開いた。

「サ…クラ……?」
「やっぱり―――…嫌いだ、」

まるで零れ落ちたように呟かれたその言葉。
そして同時にゆっくりと開かれたその瞳は、いつもの深緑の色とは違う……ゆらゆらと危うげに揺れる光を宿していた。
そして一瞬少女がその身体を小さく屈折させたかと思うと、そのあやふやな光がその漆黒の髪をも、みるみるうちに包み込んでゆく。

「父上を死に急がせた北の民も……」

目の前に広がりを見せるその光が、10年前の記憶と……重なって。
急かすように鳴り響く自らの鼓動が、胸を一層強く打ちつけるのが、分かった。

「父上の真意を分かろうともしない、人間も…ッ!!」
「―――…止まれ!!サクラッ!!」

―――…バアアッ!!
目の前を覆い尽くすように、サクラの内から放たれた強力な光。
いつものアイツとは違う。春の安らぎを思わせる……あの温かさとは違う、その光。

俺は眩い光に瞳を細めながらも、力を制御出来ていない少女の元へと急いだ。
逃げ惑う群衆をかき分ける。もどかしい。この間も少女は、悲しみに沈み、深い失望を底にいるというのに。

「…っ、サクラ!!」
「嫌い……嫌いだ、」
「サクラしっかりしろ!!俺はッ、」
「嫌いだ!!いやだ―――…離せッ!!」
「…ッ!?」

その瞬間。
少女の肩をやっとの思いで掴まえた俺の両手に、凄まじい電流が流れてきて。

思わずその両手を離してしまいそうになるものの、ギリ…ッ!!と歯を食い縛ると再びその両手に力を込めた。
その後もバリバリバリッ!!と稲妻に似た音が鳴り響き、身体に突き刺さる衝撃に顔が歪む。それでも。

「離せッ!!私に触れるなッ、もう何もっ」
「サクラ…!!」
「もう何も…っ、私に、期待、させないで……っ…!」

―――…ぎゅう…ッ!!
怖いほど美しい光の中にいる、この少女の表情が余程、苦しそうで。
止むことのない電流の衝撃の中でも、そのことだけが気掛かりだった俺は。

気が付けばその小さな身体を……自分の腕の中に、きつく閉じ込めていた。

このくらい……耐えられなくてどうする。
お前の護衛役だろ、俺は。

「ソ……イル…、」
「落ち着け、サクラ……息を深く、深くして」
「……ソイル…っ」
「お前がたとえ……俺のことを嫌いでも、」

俺は、そう続く言葉を発する直前。
目の前に……見開かれたアイツの深緑の瞳を、見た。

『―――…後ろがガラ空きだ。ソイル副団長』

「―――…ソイルッ!!!」
その悲痛な叫びに、俺は返答が出来なかった。

やばい。油断した。
きっともう使えねぇな……この腕は。

重傷を負ったくせして妙に冷静な自分が、どくどく流れ出てくる自らの血の色に苦笑する。
汗が滲むほど熱を帯びる傷口。
その個所は幸か不幸か、剣を握る利き腕とは逆の……右腕の付け根で。
激しい不意に手放しそうになった意識を、何とか踏み止まる。その砦となったのは。

自らに押し付けられた―――…薄紅色の着物だった。

『敵前で背中を向けるとは……余程そなたに入れ込んでいるらしいな、サクラ姫』
「……北の、魔王…ッ!!」

視界にぐらつく不敵な北の魔王の表情に、俺はいまだサクラにその身体を預けながらもグ…ッと手中の剣を握り直した。
畜生……上手く力が入らねぇか。騎士団の長が女に支えられてるなんざ。情ねぇ。

ぼたぼたと音を立てる自分の血の音が、耳に届く。
激しい痛みがいつの間にか遠退いて行き……殆ど感覚を失っていた。それでも。

此処は戦場で。
そんな場所で護るべきものに身体を預けるなんざ……後世までのいい笑いモンだ。

乱れる呼吸を何とか整え、俺は覚束なくなる身体を無視してジャリ…ッと地面を小さく踏みしめる。
とりあえず……この腕を切り落としちまうか?そんなことを動きの鈍い思考の中で考え至っていた俺の元に、ふわ…と温かな光の粒が、届いた。

「―――…貴様が、私の、父上を……」

ふわ、ふわ、と。
次々に生まれてくる光の粒は、いつしか大きな1つの塊となって俺たちを包み込んでいて。

「そして……ソイルまで―――…」

いや、違ぇよ。俺はまだくたばっちゃいねぇ。
直接そう言えればいいのだが、情ないことに喉から辛うじて出てくるのは擦れた吐息だけ。
まさか俺に意識が残っているなんて考え付いていない様子の少女に、俺は何とか残る左腕を差し出そうとした、
―――…その時だった。

「―――…“東は青龍。青解け流るる川に沈めよ”」
「…ッ!?」

頭上から届いた細い声色に、身体を強張るのを感じた。
そのためか身体を貫く痛みが増したように思えたが……今はそんなこと気にも留まらない。

―――…この、呪文は。

「“南は朱雀。土を見据えし朱色の翼を”」
「“西は白虎。白の牙磨ぎ輝き抱き”」
「“北は玄武。置きたる黒を如何にし破らん”」

同じだった。
キルシュさんの残した―――…最期の呪文と。

 

【episode14:解けゆく想い】

四季の精霊としてこちらの世界にやってくる精霊は、その大前提として“守”の法術の使い手である必要がある。
つまり、“守”の法術の神との契約。

それは同時に、相反する存在・“攻”の法術を生涯捨てることを意味し、2種の法術を併用するのは契約違反となる。
契約違反……それは、すなわち。

自ら滅びる。
―――…キルシュさんと同じように。

「…ッ、サ、……」
「“四方を守護せし我等が聖獣”」

駄目だ、届かねぇ。
瞳を深く閉ざして最早完全に気を集中し始めたサクラの耳には、俺の酷く擦れた呼び掛けなんて入り込むはずがなくて……それでも。

サクラには―――…繰り返させる訳には、いかねぇ。
絶対に…ッ!!

「―――…“黄龍”!!!」

俺を抱きかかえながら……今にも“攻”の法術に行き着こうとしている少女を。
1人で、全てを背負おうとする、その小さな少女を。

「“央に宿りし黄龍よ、今此処に黄泉がえ―――…”っ、…!!」

この俺が。
例え片腕になっても……包み込んでやりたくて。

渾身の力をその左手に籠め、俺は目の前の少女をグイ…ッ!!と引き寄せる。
その不意打ちの行動に驚いたらしいサクラの表情を一瞬見留めたが……それは一瞬で終わった。
見えなくなった。瞼を閉じたから。

―――…唇と唇を、重ねたから。

後になって思うと、サクラの唱える呪文を止める術なら他にも有ったのかもしれない。
それでも、その時の俺にはこの方法が真っ先に頭に浮かんで。
不思議と俺自身……その行動に、抵抗が全くなかった。

「…っ、無駄死に……すんじゃねぇ。俺が、」
「………ソ…、」
「俺が……ずっと、お前を守るから…」

絡まっていた意地や建前がするすると解け、自分の中に自然に落ちてくる感情に、俺は片方の腕でその細い肩をぎゅっと抱き寄せる。
腕を落としてきても、もう片方の腕で、守りたい。
迷うことなくそう思える……目の前の少女を。

「………ソイ、ル…?生きて…、」
「死んでねぇよ。だからテメェも……」
「…ッ、」
「1人で、勝手に死ぬな。馬鹿が…ッ…」
「………ソイル…!!」

―――…パアア…ッ!!!

言い終わるか否か。
舌っ足らずな俺の言葉を打ち消すように、突然地上に降り注いだのは―――…溢れんばかりの光の筋。
それを目に留めた俺は、瞬時に顔色を変える。
サクラが召喚しようとしていた……四神の長・黄龍。その召喚呪文は確かに、途中で途切れた筈なのに。

まさか……間に合わなかった……!?

黄龍が召喚されてしまうということはすなわち、サクラの契約違反を意味する。
無意識にサクラをグ…ッ!!と覆い隠した俺だったが、次第に開けてきた光景に、再びその目を見開いた。

―――…空が、割れていく。
北の民がはびこっていた上空に留まる黒い雲が、まるでハサミに切り取られるかのように開いた割れ目に、みるみるうちに呑み込まれてゆく。
黒の気は去り、冷え切っていた地上の空気が身体に馴染む……懐かしい春の陽気に包まれていくのが分かった。

「く…ッ!」
『……どうやら今回は、10年前と同じようにはいかなかったらしいな』

まるで光のブラックホールのような空の割れ目。
その凄まじいまでの強風に飲まれないように体制を低くしていた俺たちの耳に再び、胸糞悪いあの声が届く。

『だがお陰で随一の騎士の腕を奪うことが出来た。10年前……お前の父が我の腕を奪ったのと、同じようにな』
「……ッ、北の魔王!!」
『喚くなサクラ姫。近いうちにまた、今度こそそなたの命を―――…』

―――…ズドッ!!
言葉の続きを待つ理由は、ない。
俺は長く息を吐くと、自らの手中から放った剣の反動で、その場に倒れこむ。
そして口角を小さく上げると、その手足を周囲に無造作に放り出した。

見てたかよ、親父、キルシュさん。
ようやく―――…俺は。

「後ろが……ガラ空きだぜ。北の魔王」

風に翻る、漆黒のマント。
その背中に突き刺さった―――…親父から受け継いだその剣を見留め、俺は静かに口を開いた。

『き、……貴様ぁ…ッ!!』
「形見の剣。冥土の土産だ……あの世で親父たちに笑われやがれ」

言ったよな。
守るものを暴こうとしやがる奴は―――…神でも噛み付くと。

サクラの呼び戻した温暖な光の中で、北の魔王が何の問題なく動き回れるはずもなく。
最後の力を寄せ集め、弓矢の術の応用で狙いを定めた剣。
貫かれたその身体は、しばらくの間、闇を求めてのたうち回っているようだったが、空の割れ目が閉じる―――…その直前。

力尽きたように瞳を伏せた北の魔王の身体が、剣ごと空の彼方へと……跡形もなく消えていった。

 

【episode15:別離】

「向こうの世界でのことだけど……サクラちゃんはね、幼い頃にも1回、空を割っちゃったことがあるんだって」

肌にうっすらと汗が滲む、真っ昼間の日差しの中。
傍らに居たアースは不意にそう零した。

「10年前……父親が帰らぬ人になったと知った時にサクラちゃん、3日3晩部屋にこもって泣き続けて。そしてその間ずっと豪雨が続いていた空に、3日目の朝、真っ2つに大きなヒビが入り始めた」
「……アイツの激しい感情に、呼応して……ってことか」
「重すぎるよね、やっぱり。母親を早くに亡くしたサクラちゃんにとって、父親は唯一の血の繋がりだったんだから」

そりゃ空も割れるって。そう言いながら小さく笑って見せたアースの表情は、今は亡き先代の国王を想っていることが見て取れた。
遠い親戚ながらも孤児同然だったアースを実の息子のように愛し、コイツへの王位継承を伝えた後その息を引き取った。
きっと……姿を消してしまった今でもなお、コイツの中でその人は生き続けている。

そんな高尚な考えが、俺にもこれから先……出来るようになるんだろうか。

「そんなことより、いいの?ソイル」
「そーだよっ!ほら、サクラちゃん。そろそろ時間じゃん!」
「……」

先ほどから何か言いたげだったのが痺れを切らしたように、眉を下げながら言葉を投げ掛けてくるオーシャン。
相変わらずお節介野郎だな。そろそろ時間だ?んなこと分かってんだよクソ。
分かってるから―――…動けねぇんだろうが。

向夏の式典。
春がゆき、夏を迎える暦の式典。

先日起こった北の民との紛争。
その際、右腕を無くした俺もそうだが……それ以上に状態が悪かったのはサクラの方だった。

空を割るほどの内なる力。
その後も制御出来ず力を放出し過ぎたらしいサクラは、ずっと体調が万全とはいかずにいて。
“むこうの世界”ならば精霊の回復に適した薬草が簡単に処方される。それを知った俺がアースに直に頼み込み、今回の式典の日程を早めてもらうことにしたのだ。

『私はもう平気だと言っているのに!!勝手に帰還の日を早めただと!?ふざけるな!!』
『平気じゃねぇだろ!!あれからもう半月経つってぇのに、食事もまともに取れてねぇじゃねぇか!!』
『別に私たち精霊は食事を摂らなくとも生きていけるッ!!』
『そーいう問題じゃねぇッ!そんなだからお前はガキなんだよ!!』

何とか説得するはずが……いつの間にか口論、仕舞いには喧嘩に発展。
その結果前倒しの日取りが決定して以後……結局まともに会話も出来ずに今日の日を迎えてしまっていた訳で。

好きでこんなこと望んだわけじゃねぇんだ。俺だって―――…

「ほら、サクラちゃん、あらかた形式張った挨拶は済んだみたいだよッ?」
「このままお別れしても良いわけ?もう2度と会えなくなるのに」
「…ッ、んなの、」

―――…ドスッ!!

分かってる。そう続くはずだった俺の言葉は背中の大きな衝撃とグラリと揺れた視界に思わず呑み込まれることになって。
ジンジン痛みを訴える背中を片手で摩りながら、俺は何とか体勢を整えると背後の元凶であろう2人をギロリと睨み上げた。

「てっめえらぁ…ッ、急に何しやがんだ!!」
「「四の五の言わずに行って来い」」
「ハモってんじゃねぇ!!余計イラつくん、」
「―――…ソイル、」
「!」

鈴が鳴るような、頼りげなくか細い声。
それでも……確かに俺を呼ぶその声が、酷く懐かしく耳に響いた。

「サ、クラ……」
「……そろそろ、行く時間だそうだ」
「あ、ああ」
「……」
「……」

ギュッと袖を掴んで俯いているコイツは、どんな表情をしているのだろう。
こんな時だっていうのに俺は、上手い言葉1つ掛けてやることも出来ない。
このままじゃ駄目だ。
それだけは分かってんのに。

「……あ、のな、サクラ」
「……」
「俺は、な。初めの頃は……早く夏が来て、この任務なんて早く終わればいいって、そう思ってた」

ピクッと小さく震えたサクラの肩に、俺はそっと……片割れになった左手を掛ける。

「でも今は……この任に手を挙げて、良かったと思ってる」
「……っ、」
「まぁ、最後の最後でお前に守られちまった……情ねぇ護衛役だったが、」
「―――…なんでっ!」

突然張り上げられたサクラの声に、向夏の式典に呼ばれていた多くの周囲の視線が、一気にこちらに集まる。
俺も一瞬目を見開いたが、震えを大きくしたサクラの肩に気が付くと「サクラ…?」と静かにその場に膝を付いた。

顔を上げさせようと何度も試みたが、その度にふるふるっと首を振ってそれを拒まれる。
そんなサクラの態度に、俺は言いようのない焦燥と不安に襲われた。
何でだよ。もう時間もないっていうのに……こんな。

このまま……嫌われたまま一生。
お前と―――…会えなくなるのか?

「ッ、サクラ、顔を上げ、」
「何で……お前はそんな、平気なんだ…?」
「は、」
「私はこんなに……こんなに辛いのにっ!!」
「!」

ヒカリの木が植わる草原に、
強い風が1つ、真っ直ぐに通り過ぎた。

「お前はっ!私が居なくなっても、何とも思わないのか…っ!!」

非難する声と、反対に……悲しげに涙を滲ませる、その瞳。

今にも零れ落ちてしまいそうなその雫に内心慌てながら、そっと指を近づける。
野次馬の連中はサクラがこんな感情を表に出していることに驚いているようだったが……今はそんなことに構っちゃいられねぇ。

つーか一体どうしたらそんな考えに行き着くんだ?
俺はお前の身体を思って、無理言ってこの式典を早めてもらったてのに。
今度は拒まれることのなかった接触に密かに安堵しながら、俺はいまだに恨みがましくこちらを見遣るサクラに口を開いた。

「あのなぁ…ッ、何とも思わねぇなんて……んな訳、ねぇだろが……」
「じゃあどうしてッ、どうしてそんな冷静でいられる!?」
「ッ、お前の目は節穴か!?ちっとも冷静なんかじゃねぇ!!」
「どうせ……どうせ私のことなんて、すぐに忘れてしまうのだろう!?私だけ、こんな…っ!」
「だーかーらッ、俺だって出来るならなぁ、お前をこのまま―――…、っ!」

無意識に、自らの言葉に歯止めをかける。
サクラの目尻に寄せていた手を咄嗟に引くと、俺は自分の口元をガバッ!と覆った。

ドクン……ドクン……ドクン……
まるで地響きのように身体を打ち付ける自分の鼓動に、俺はかつてなく混乱していた。俺は今。何を。

―――…何を、言おうとしていた…?

「……ソイ、ル」
「……ッ、」
「今の……続きは、」

「はぁーい。お2人さん、時間切れー」

突然降りかかった間延びした口調。
俺とすぐさま声の主に目を遣ると、予想通りの人物の姿にグッと息を呑んだ。

「…っ、アース…!」
「お邪魔しちゃうようで悪いね。もうすぐお天道様が真上に来る……残り3分もない」
「え…、」
「ソイル、サクラちゃんに……お別れを」
「―――…」

お別れ。
分かり切っていた現実を突きつけられて、俺はしばらくそのまま動けなかった。
「ソイル…、」という呟きにようやく視線を戻した俺は、視界一杯に広がった少女の表情に、また胸が鳴るのを感じる。

「お前に会えたこと……お前は忘れても、私は忘れない」
「…っ、」
「絶対に……忘れないから」

そう言って、無理矢理笑って見せたサクラの瞳からは、ポロポロと耐えきれなくなった雫が落ちてきて。
苦しい。悲しい。辛い。
重たい感情に縛られて満足に言葉も紡げない。息すらしづらい気さえする……情ねぇ。

こんな時だってのにどうして。
このままじゃ、本当に―――…

「―――…サクラ姫、そろそろ」
「……ああ」

一瞬俺のことを睨むように見据えたアースだったが、太陽の位置を数値化する手元の器具を確認するとサクラに短くそう告げた。
サクラは一瞬寂しそうに眉を下げたものの、スッとその表情から感情を消す。

そして“むこうの世界”への扉であるヒカリの木の根元へと向かう背中を、俺はただ目で追っていた。
日の光にキラキラ煌めく黒髪が、目の前をするりと通り抜けてゆく。
これで……本当に、終わりなのか。

俺たち、これで、
もう2度と―――…

「―――…ッ!!」
「っ、え…」

多少バランスを崩しかけた桜が、咄嗟に小さな悲鳴を上げる。
しかしながらそんなことはお構いなしに、少女の羽織る薄紅色の衣の裾を、俺はギュウ…ッ!!と力一杯に掴み取っていた。

まさかの俺の行動に、周囲は勿論、少し遠巻きにいたオーシャンや目の前のアースでさえその目を丸めているのがわかる。無理もない。
王国率いる騎士団の実質トップに居座る俺……まるで駄々をこねるガキみたいに少女に縋っているのだ。
……それでも。
みっともねぇ姿を晒してるって、分かってても。
俺は―――…

「ソイル……、」
「……行くな」
「!」
「行くな……サクラ…ッ、」

目の前の少女が、小さく息を呑んだのが、分かった。

それは今の今までうんともすんとも返事をしなかった俺の、突然の言動に対してか。
それとも……燃えるみてぇに真っ赤に染めている、俺の頬に対してか。

俺だってこんなの、普段の俺からは微塵も想像できなくて。
今だって、羞恥心か何かごちゃごちゃした感情の中で言葉を紡ぐのが精一杯で。
初めてだ、こんなん。訳が分からねぇ。畜生。
そうだ―――…だから。

「俺をこんな風にしたのは―――…お前だろ、サクラ」
「……!」
「責任、とりやがれ。……クソガキ」

そんな汚い言葉でしか、心の内を伝えることが出来なかったにもかかわらず。
次の瞬間、視界に映ったものは……酷く綺麗な、少女の笑顔で。

天からの日差しが最も近づいた、その時。
遠くの丘に在る筈のあの桜の木から、
2人を包み込むような……薄紅色の花吹雪が、届いた。

 

【episode16:桜舞う】

「ねーねーソイル!早速広まってるみたいだよ~“やはりソイル副団長は、年端もいかない少女に惚れ込んでいた!!”って!」

いまだ興奮冷めやらぬ、といった様子で顔を覗き込んでくるオーシャン。
そんな見るからにウキウキした幼馴染の背後に広がる青空を眺めながら、俺は寝転んだまま「あー…そー…」返答した。
そんな俺の返しにつまんなそうに口元を突き出しながらも、コイツもごろんと傍らに横たわる。

「アースがね、安心してた。まさかとは思ったけど、あのまままともな言葉も交わさないで、サクラちゃんを行かせることにならなくて良かった~って」
「……思いっきり睨まれたもんな、あん時」

さざめく草原の奏でる音に瞳をそっと閉じながら、俺は先ほどまでの式典での記憶を思い返していた。
生まれて初めての感情を持て余す俺。そんな踏ん切りが一向に付かない俺に業を煮やしたアースは、ほんの少しフライングした時間にサクラを呼び止めた、らしい。

まぁ……今となっちゃどっちでも構わねぇけどな。
―――――――
――――
――
『―――…ソイル…、』

恥ずかしい台詞を紡ぎ切った後。
真っ直ぐに俺のことを見据えるサクラの視線に気付くと、俺は捕まえていた着物の裾をグッと握り締めたまま……その顔を伏せた。

『……笑いたきゃ、笑えよ』
『……』
『らしくねぇって……分かってんだ、こんなん。……でも、俺はっ』
『5年だ』

その瞬間、俺の視界は見慣れた薄紅色に包まれる。
思わず顔を上げようとした俺を、静止するかのように両頬に添えられた……小さな手の平。
その温かな感触に驚く間もなく、降り注いできたものは。

俺の唇に柔らかく触れた―――…サクラの、唇だった。

『……っ、な…!?』
『同じ花の組が再び精霊として任を得られるのは……少なくとも、5年後、だ』

あまりの衝撃に狼狽え出した俺の首に、すかさず腕を回してきゅう…っ!!と抱き着いてきたサクラ。
そして恥ずかしさを隠すかのように少し早口で告げるその言葉を、俺はいつもよりも遅い思考回路によって……ようやく理解できた。

『ご……5年?』
『また必ず……5年後の春に、会いに来る。だから、』
『サク、』
『その間……変な女共に、捕まるなよ…?』

尻そぼみ。
それでも確かに届けられたその言葉に、俺は再びかああ…ッと頬に熱が帯びるのを感じる。

目の前の少女が不安げにこちらを見つめる、その不安定な視線に、
―――…愛しい。
不覚にも、そう感じてしまったから。

『……そりゃ、』
『?』
『こっちの、台詞だ…ッ…』

ああ゛~もう、一体何なんだってんだこの恥ずかしすぎる遣り取りはぁッ!?
思わず頭を抱え込みそうになる。
この時の俺はもはや外野の存在なんて一切忘れ去っていたが、それでもなお、慣れないこのフワフワした空気に今にも憤死してしまいそうだった。

マジで、死ぬ。つーか死にたい。
グルグル混乱する思考の中、耳に微かに届いた……小さな笑い声に、俺はパッと顔を上げた。

『……なに笑ってやがる』
『ふふ、……いや、私なら心配無用だ』
『……お前はこれから思春期真っ盛りだろが。そんなん誰にも分らねー…』
『お前以上に愛しいと想える者に……この先出会えるとも思えないからな』
『…ッ!』

うわ。駄目だ。もう嫌だコイツ。

恥じらう様子もなくそう言ってのける13歳の少女。
それに振り回されている自分が何だか妙に悲しく思えてくる。俺ってこんなヘタレてたのか。

『もう……時間、だな』
『…!』

一瞬何の事だか察せずにいたが、目の前の少女が懐から取り出したものを見てハッと我に返る。
その手に乗せられたのは、こちらとあちらの世界を結ぶ鍵―――…“種”。

その“種”が、まるで差し迫った時を知らせるかのように、ぽう…っとオレンジ色の光に包まれていた。
この光は……召喚の時に放たれるそれと、同じ色で。

『5年後のお前は……きっと今よりも幾分か、大人びているのだろうな』
『お前は……きっと最高に、華盛りの時だろうよ』
『……似合わぬ台詞を』

そう言いながら少しばかり頬を染めたサクラは意を決したように口元を締めると、
手にしていた“種”を……ビュッ!!と青空に向かって高く投げ放った。
――
――――
―――――――
「長いよねぇ、5年」
「……そうだな」
「サクラちゃんは18歳。ソイルとか俺は23歳かぁ……」

城の裏手、最近は何度も足繁く通っていた……桜の木の下。
空と桜の色のコントラストを見つめながら、俺はいつだったか夢に見た、18歳のアイツの姿をぼんやりと思い返していた。
……いや。アレだ。別に期待してるとかじゃねぇけど。

「きっとサクラちゃん、すんごい美人さんになってるよね~。相当心配なんじゃない?ソイル副団長は」

ケラケラ笑いながらそう問いかけてくるオーシャンに、俺は適当に手元に生えていた草をむしってコイツの顔の上にバラバラ~ッと降らせやった。むせ返ってる。いい気味だ。
非難号号の煩い叫びを聞き流し、不意に視界に広がった―――…桜の、花びら。

この世界の恩人であるキルシュさんの……サクラの親父さんの生まれ変わりである、桜の木。
今年は珍しく季節を読んだのか、例年よりも早くにその花弁を手放していく。
でもその様子は……何だろう。まるで。

もう2度と、この地に咲くことはないと―――…そう告げているようで。

俺は無意識に上体を起こすと、その花吹雪をただただ見つめる。
同じ異変を感じ取ったのか隣で寝そべっていたオーシャンもガバリと起き上がると、「うわ……すっげ、花吹雪」と感嘆の言葉を紡いだ。

―――…安心、できたのだろうか。
唯一の心残りだったに違いない、愛娘の将来を。

自惚れに近い思考に小さく苦笑を漏らした俺だったが、次の瞬間……初夏にはまるで似合わない、柔らかな春風が通り過ぎて行って。

「……さてと。そろそろ格技場に戻るぞ。訓練がまだ残ってる」
「ええッ!?だって今日は、式典があったから時間半分で終わりって、」
「別に。お前が来なくても、1人で勝手にやる」
「~っもう!ハイハイ付き合いますよーっ!!」

ぶちぶちと文句を垂れながら服に付く土を掃う幼馴染を一瞬見遣ると、俺は今1度、目の前にそびえる大きな命を見上げる。

その雄大な姿の中に不意に、先に分かれた少女の香りを感じ取った俺はふっと静かに笑みを浮かべると、
その後振り返ることなく……目の前に続く細道に、その歩を進めていった。

END